2022年5月29日日曜日

2022年5月29日の聖句

実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。ましてわたしが建てたこの宮など、なおさらのことです。(王上8:27)
いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにとどまり、神の愛がわたしたちのうちに全うされてるのです。(1ヨハネ4:12)

今日の旧約聖書の御言葉は、ソロモン王が七年の年月をかけて建造した神殿が完成し、いよいよこれを神に献げるというときの祈りの言葉です。技術の粋とたくさんの財産を献げて完成した主の神殿。しかし、「実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。ましてわたしが建てたこの宮など、なおさらのことです」と祈ります。本当に真実な、正直な思いなのだと思います。どんなに精一杯のささげ物をしても、神さまの偉大さ、その大きさ、すばらしさをこの建物に閉じ込めることなどどうしてできるでしょうか。この世界を造った方を、私が造った建物などにどうして閉じ込めることができるのか。
これは建物だけのはなしではないと思います。私の期待や、私の願い、私のこだわり、そういうものだって、神さまを閉じ込める事なんて本当はできません。しかし、私たちは自分の思惑に神さまを収めてしまいたくなります。自分の予測の範囲内に収まる小さな神さまを好みます。しかし、例え天でも、それどころか天の上に広がる天の天によっても、神さまを閉じ込めてしまうことなどできやしない。神さまは完全に自由で、私の思惑に留めてしまうことはできない。
ところが、その神さまが私たちの内にいてくださる、と聖書は言います。「いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにとどまり、神の愛がわたしたちのうちに全うされてるのです。」私たちが互いに愛し合う時、神さまは私たちの内にとどまってくださって、私たちの内に神の愛を実現してくださる、と言うのです。驚くべき言葉です。
今日は主の日です。教会堂は、神さまを収めるための場所ではありません。私たちが祈り、礼拝を献げるための場所です。私たちは心を一つにして神さまを礼拝します。天も地もお造りになった方を礼拝し、この方の前にひれ伏します。私たちは、キリストに頂く愛で互いに愛し合います。主イエス・キリストの愛が私たちの間で実現し、そこにキリストは留まってくださる。その約束を信じて、愛し合う私たちの間にキリストがいてくださることを信じて、私たちは今日も神の民として礼拝を献げます。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...