2022年6月14日火曜日

2022年6月14日の聖句

もし、主が町を守るのでなければ、守る人は空しく見張ることになる。(詩編127:1)
あなたがたの間で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までにその業を完成してくださると、私は確信しています。(フィリピ1:6)

「あなた方の中で善い業を始められた方が」と、使徒パウロは言っています。主イエス・キリストのことを指しているのでしょう。キリストは私たちの間で善い業を始めてくださった。私たちはキリストが始めてくださった善い業をして、今生きているのだ、と言うのです。
キリストがお始めになった業です。どんなに小さな私たちの愛の業も、少しばかりの他人への思いやりも、それはキリストが始めてくださったことです。どうか、私はそんな良いことなんてしていない(あるいは、できない)とはおっしゃらないでください。キリストは、私たちの間でも善い業をお始めになっている。私たちを通してキリストの業はもう始まっているのです。私たちはそのことを信じたい。
私たちから始めた善い業だとしたら、すぐに限界が来てしまうと思います。どんなにすばらしい責任感も、志も、私たちは弱いですし儚いですから、人から見られていなかったり気がゆるんだりした時に揺らいでしまうこともある。しかし揺らぐ私たちの間で、キリストが善い業をお始めになっています。自分を信じる必要はない。私たちはキリストを信じます。
「もし、主が町を守るのでなければ、守る人は空しく見張ることになる。」キリスト抜きでは、私たちのどんなに善い業も空しくなってしまうでしょう。しかしキリストが始めた業ならば、私たちは弱くても、キリストにある喜びがあるはずです。
この業は、キリストの日にキリストご自身が完成してくださる。キリストの日、それはキリストが再び来られる日です。世界の完成の日です。神さまの御前に私たちが立たされる日、キリストご自身が私たちの間で始めた善い業が完成される。キリストご自身が完成してくださいます。
今日、私たちのすることも、キリストにあって尊い意味がある。決して空しくない。主イエス・キリストが私たちの手を通して、足を通して、働いてくださいます。

2026年2月3日の聖句

貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。 人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。(箴言17:5) 神は、世の貧しい人を選んで信仰に富ませ、ご自分を愛する者に約束された御国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。(ヤコブ2:5) 献金は、天国への入場料ではありません。多額の献金をするこ...