2022年6月15日水曜日

2022年6月15日の聖句

主はあなたの行くのも帰るのも守ってくださる。今より、とこしえに。(詩編121:8)
主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3)

主日礼拝のプログラムの最後は「祝福」です。コリントの信徒への手紙二13:13の御言葉をもって、祝福が宣言されます。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように。」
さがみ野教会の礼拝でこれを「祝福」と呼ぶようになったのがいつであるのか、私はまだ存じ上げていないのですが、私が学生時代まで通っていた母教会である高座教会では、以前は「祝祷」と呼んでいました。2000年前後にそれを「祝福」と呼び改めるようになったことを覚えています。祝福と祝祷は違います。祝祷の「祷」は祈祷の「祷」で、この字には「祈る」という意味があります。祝祷は「祝福を求める祈り」という意味です。しかし礼拝の最後で告げられる言葉は「祝福」で、祈りではなく宣言です。三位一体なる神様のお名前によって祝福が宣言されている。
礼拝が終わって家路について、家に帰るまでの間に転んで怪我をするかも知れません。その一週間に大きな不幸があるかも知れません。そうなったら、牧師の祝福を求める祈りの効果が足りなかったのか?そうではないのです。神の祝福は、もうすでに宣言されている。宣言されたからには、私たちに何が起ころうとも神は私たちを祝福してくださっています。私たちの目にはそのように見えなくとも、神の祝福の事実は変わることがありません。
「主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。」主イエス・キリストはご自身の真実にかけて、私たちを強め、悪しき者から守ってくださいます。十字架にかけられた方が守ってくださるのです。どのような悪霊であっても、私たちを神の愛から引き離すことなど絶対にできません。私たちを支えるキリストの祝福の事実が絶対に揺るがないからです。
「主はあなたの行くのも帰るのも守ってくださる。今より、とこしえに。」今日、私たちはキリストの祝福によって、行くのも帰るのも守られています。私たちを支えるこの事実の中、平安のうちに歩んでいきましょう。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...