2022年6月2日木曜日

2022年6月2日の聖句

主は私たちをみこころに留め祝福してくださる。(詩編115:12)
あなたの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。(1コリント4:7)

主イエスさまはご自分の弟子たち、つまり私たちに教えてくださいました。「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈ることを。ですから、私たちは毎日この祈りを繰り返します。主イエスは「当面一週間分の糧を」とか「一生食うに困らない分を」という祈りは教えませんでした。ですから、私たちは毎日、その日の糧のために神さまに祈り、神さまに頂いたものを食べて生きています。ちょうど、荒れ野を旅する神の民が毎日天から降ってきたマナを食べて生き延びたのと同じように。
「あなたの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。」そうなんです。私たちが持っているものは、すべて神さまが与えてくださったものです。私たちは何も持たないで生まれて、ただただ与えられることに頼って成長しました。大人になって自分で稼いでも、やはり根本的には与えられて生きています。それは他人の善意だったり、懸命に働く体力や気力だったり、他の人が自分のためにしてくれている仕事だったり。私たちが生きるために必要なものは、自分の力で獲得したように見えるものであっても神が与えてくださっている。私たちの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。ないのです。だから、あたかも受けたのではなく自分の所有物であるかのような顔をするのは、間違っています。
間違っているとは言っても、そこで間違いを犯すのが私たちの性なのかも知れません。一度自分のものだと思えば自負が生まれるし、人に渡そうと思うと惜しくなります。それでも裸で生まれた私を生かし、生きるために必要なものを全部準備して与え、私を生かしてくださった神さまの祝福と愛に、私たちはどう応えるのでしょうか。
「主は私たちをみこころに留め祝福してくださる。」今日も、主なる神さまは私たちを祝福してくださっています。主イエス・キリストの恵みと祝福は、いつも私を追う。私たちは主の家に帰り、生涯そこに留まるのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...