2022年6月26日日曜日

2022年6月26日の聖句

神よ、あなたは私たちに多くの不安と苦難を経験させられましたが、再び私たちを生き返らせてくださいます。(詩編71:20)
私は、平和をあながたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14:27)

ふるい一週間が過ぎ去って、新しい週が始まりました。日曜日です。どのようにこの一週間を過ごしてこられたでしょうか。心が散り散りになるような思いで一週間を過ごしてきた方もおられることでしょう。心が騒ぐこと、怯えてしまうようなこともあったかも知れません。不安と苦難を経験する一週間だったという方も、もう大丈夫。私たちの信じるイエス・キリストは、「私の平和を与える」と言ってくださるお方です。しかも、「私はこれを、世が与えるように与えるのではない」と言われます。他の誰でもない、主イエスさまの平和を、主イエスさまにしか与えることのできない仕方で、私たちに与えてくださる。私たちの信仰は「だからもう大丈夫」という信仰です。
「神よ、あなたは私たちに多くの不安と苦難を経験させられましたが、再び私たちを生き返らせてくださいます。」この詩編の伝える祈りの言葉は、私たちにすばらしい気付きを与えます。「あなたは私たちに多くの不安と苦難を経験させられましたが」と言っています。私たちが味わってきた多くの不安や苦難は、神さまの手の中にあったのだと言います。神さまがあずかり知らないところで、事故のように起きてしまった不安や苦難ではないのです。どのようなことであっても、それは神さまの御手の内にある。私たちの天の父として、慈しみに満ちたお方のお与えになったものと、私たちは信じることができるのです。
しかし私たちに主イエスさまがお与えになる平和は「世が与えるように与えるのではない」と言っておられますから、私たちの期待したとおりの形ではないかもしれません。私たちには平和に見えないこともあるかも知れない。しかし、このお方が下さるのは、「私の平和」、つまり主イエス・キリストの平和です。私たちのために十字架にかかってくださった方の平和です。何よりも確かで、強く、したたかな平和です。
この新しい一週間も、いろいろなことがあるでしょう。一筋縄ではいかない日々が始まることでしょう。しかし、もう大丈夫。主イエス・キリスト、平和の主であるお方がどのような時にも私たちと共にいてくださるから。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...