2022年6月27日月曜日

2022年6月27日の聖句

あなたの民は言う。「主は正しく行ってくれない。一方で自分たちが正しい行いをしていない」。(エゼキエル33:17)
主に喜ばれるものが何かを吟味しなさい。(エフェソ5:10)

自分の生き方を吟味しなさい、と聖書は私たちに言います。
車の免許を取りに教習所に行くと、運転前に車の点検をするようにと教わります。エンジンオイルはきれいで、必要な量が入っているのか。冷却水は、ウィンドウォッシャー液はあるのか、タイヤはすり減っていないか。そのようなことを毎回毎回点検してから運転するように、といわれる。しかし、免許を取った後、運転の度にそれを実行する人はどれくらいいるのでしょうか。あまり多くないのではないかと思います。
聖書は、私たちに自分の生き方を吟味するようにと言う。自分の生き方をもう一度点検してみよ、と。自動車であれば、点検項目は自動車が法令の定める安全基準を満たしているか、安全に走行できるか、といったことになります。私たちの生き方の吟味は「主に喜ばれるものが何か」という基準に従ってなされます。私の生き方は、主に喜んで頂けるものであるのか?その一事を基準にして、私たちは自分の生き方を問い直します。
今日の旧約聖書の御言葉は、ローズンゲンの原書であるドイツ語のこの箇所を日本語に翻訳したものです。聖書協会共同訳の同じ箇所はこのように翻訳されています。「あなたの同胞は、『主の道は公正ではない』と言っている。しかし、彼らの道こそ公正ではない。」正義に背いて不正に溺れるイスラエルの人々に、預言者エゼキエルは、悪から離れて主に従おうと呼びかけます。神さまのもとに立ち返り、罪から立ち帰って正義と公正を行おう、と。不正なのは神さまではなく、私たち自身。その事実に気づいた時、私たちは生き方を変えざるを得ません。
基準は、私たち自身の価値観や好みではなくて、神さまです。神さまは何を喜んでくださるのか。私たちが何を喜びとするのかということではなくて、神さまが何を喜んでくださるのか。今日、私たちの一日も、主が何をお喜びになるのかということを問いつつ歩んでいきたいと願います。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...