2022年8月20日土曜日

2022年8月20日の聖句

神は言う:私はイスラエルにとって露のようになり、イスラエルは百合のように花を咲かせる。(ホセア14:6)
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなた方は何もすることができないのです。(ヨハネ15:5)

今日のこの御言葉を読む場所が森の泉か高原のような場所だったらどんなに素敵なことだろうと、思わず考えてしまいました。「わたしはイスラエルにとって露のようになり」と神さまはおっしゃいます。朝のきらやかな露のように、神さまが私たちを潤し、渇きを癒やしてくださいます。この露をいただいたら、私たちは花を咲かせます。「イスラエルは百合のように花を咲かせる。」
ここが森の泉か高原であったら、どんなに素敵なことでしょう。しかし、実はどこであっても構わない。主イエスさまに祈り、主イエスが「父よ」とお呼びした方の前に進み出るとき、私たちは神の国にいる。神さまの御前、この世界でもっとも美しい場所にいるのですから。
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です」と主イエスは言われます。私たちはキリストという幹につながったぶどうの枝。このお方につながる私たちに実が結ばれる。神さまはそのための露となって私たちを潤し、また農夫として私たちを世話してくださいます。今日も、私たちを御自身の慈しみに従って世話してくださる神さまの御手の中で、私たちは一日を過ごします。キリストの慈愛に満ちた露に潤され、神さまの憐れみによって今日も渇きを癒やされる一日でありますように。そして、キリストが結んでくださる実りを神様と隣人にお返しする一日でありますように。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...