2022年8月9日火曜日

2022年8月9日の聖句

私は
あなたを恐れるすべての人
あなたの戒めを守る人たちの仲間です。(詩編119:63)
フィリポは宦官に聞いた。「お読みになっていることが分かりますか。」しかし彼は言った。「誰かが導いてくれなければどうやって理解できるでしょうか。」そしてフィリポに馬車に乗り込み、自分の隣に座ってくれるように頼んだ。(使徒8:30~31)

宦官は高官でありながら、差別される存在でもありました。それは洋の東西を問わず、同じであったようです。聖書でも、宦官は非常に厳しい扱いを受けています。「睾丸の潰れた者、陰茎の切り取られた者は、主の会衆に加わることはできない(申命記23:2)」とあります。
しかし、フィリポは馬車に乗って聖書を読んでいる宦官を見つけたとき、走って行って声をかけ、言います。「お読みになっていることが分かりますか。」すると宦官はこたえました。「誰かが導いてくれなければどうやって理解できるでしょうか。」それで、フィリポは馬車に乗り込み、隣に座って、福音を語り始めました。この宦官はフィリポから洗礼を受けることになります。
聖書を字面だけで読んでいれば、宦官を差別する正当性を引っ張り出してくることは可能です。しかしフィリポは文字の奴隷になってこの人を福音の門前払いにしませんでした。隣に座り、膝つき合わせて語り合い、福音を伝えました。フィリポは主の御言葉を求める人の仲間、友になって、心から心へと福音を告げたのです。これこそ、神さまの御心に沿ったあり方ではないでしょうか。
先ほどの宦官を排除する聖書の言葉に対立するような言葉が他の所にも書かれています。このようにある。「宦官も言ってはならない。『見よ、私は枯れ木だ』と。主はこう言われる。宦官が私の安息日を守り、私が喜ぶことを選び、私の契約を固く守っているならば、私の家と城壁の中で、私は、息子、娘に勝る記念のしるしと名を与える(イザヤ56:3~4)」。神さまの御腕は、私たちが思っているよりもずっと長いのです。
私たちは神さまのこの長い御腕に、本当に驚くばかりです。私たちがいつの間にか主の囲いの外にいると決めつけている人を獲得するために、神さまはどんなことをしてでも、一人の魂を求めておられます。主を畏れ、主を信じて生きる幸いは、すべての人に開かれています。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...