ダニエルは、屋上の部屋の窓をエルサレムに向かって開いていた。彼は日に三度、ひざまずき、祈り、自分の神に感謝した。(ダニエル6:11)
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。(ローマ12:12)
キリスト教会に伝わるふるい言葉に「祈りの法、信仰の法」というものがあります。この場合の「法」というのは法律という意味ではなく、「やりかた」といった意味であると思います。どう祈っているかということが、その人がどう信じているかということだ、ということでしょう。私たちはどのように神に祈り、そしてどのように神を信じて毎日過ごしているでしょうか。
ダニエルはエルサレムから遠く離れたペルシアにいます。異なる神々を信じている人たちの中に生きています。私たちと同じような状況です。しかし彼は日夜祈っていました。「ひざまずき、祈り、神に感謝」して過ごしていました。この姿勢が、ダニエルの信仰そのものでした。
今日私たちに与えられている新約聖書の御言葉でも、このように命じています。「望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」「ひたすら祈りなさい」と言います。その祈りは、望みを抱く喜びであり、苦難への忍耐です。喜びと忍耐を祈りにおいて発揮し、神さまに向かって私たちの「今」を、「今日この日」を献げて、祈りの内に朝や昼や夜を迎えていく。ダニエルも、今朝のローマの信徒への手紙を書いた使徒パウロも、そのように祈り、信じていました。これまで神を信じる無数の信仰者たちが、そのように祈ってきました。私たちの周りに、神を信じる幸いの証人として立っています。
今日、私たちも祈りましょう。祈りつつ一日を過ごしていきましょう。私たちの祈りを神は聞いてくださいます。その祈りが立派な言葉にならなくても、呻きであっても、神は耳を傾けてくださいます。祈りという最高の幸せに、神は私たちを招いてくださっています。
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。(ローマ12:12)
キリスト教会に伝わるふるい言葉に「祈りの法、信仰の法」というものがあります。この場合の「法」というのは法律という意味ではなく、「やりかた」といった意味であると思います。どう祈っているかということが、その人がどう信じているかということだ、ということでしょう。私たちはどのように神に祈り、そしてどのように神を信じて毎日過ごしているでしょうか。
ダニエルはエルサレムから遠く離れたペルシアにいます。異なる神々を信じている人たちの中に生きています。私たちと同じような状況です。しかし彼は日夜祈っていました。「ひざまずき、祈り、神に感謝」して過ごしていました。この姿勢が、ダニエルの信仰そのものでした。
今日私たちに与えられている新約聖書の御言葉でも、このように命じています。「望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」「ひたすら祈りなさい」と言います。その祈りは、望みを抱く喜びであり、苦難への忍耐です。喜びと忍耐を祈りにおいて発揮し、神さまに向かって私たちの「今」を、「今日この日」を献げて、祈りの内に朝や昼や夜を迎えていく。ダニエルも、今朝のローマの信徒への手紙を書いた使徒パウロも、そのように祈り、信じていました。これまで神を信じる無数の信仰者たちが、そのように祈ってきました。私たちの周りに、神を信じる幸いの証人として立っています。
今日、私たちも祈りましょう。祈りつつ一日を過ごしていきましょう。私たちの祈りを神は聞いてくださいます。その祈りが立派な言葉にならなくても、呻きであっても、神は耳を傾けてくださいます。祈りという最高の幸せに、神は私たちを招いてくださっています。