2022年9月18日日曜日

2022年9月18日の聖句

イスラエルの人々は主の言葉に従って出発し、主の言葉に従って宿営した。(民数記9:18)
言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17)

エジプトを脱出し、荒れ野を旅する神の民。神さまは彼らの旅路を導くために、昼は雲の柱、夜は火の柱によって行く道を示しました。彼らは出発するのも留まるのも、神に従って決めていたのです。「イスラエルの人々は主の言葉に従って出発し、主の言葉に従って宿営した。」
同じように、私たちの目の前に雲の柱や火の柱がいつでもあったらどんなに分かりやすいことでしょう!しかし神さまは、あのときの神の民になさったのと同じようはしてくださいませんでした。いや、荒れ野の旅路を終えて約束の地に入った後、もはや目の前に雲の柱や火の柱が立つことは二度となかった。神の民は揺籃期を終えて、自分で判断し、自分で神の言葉に静かに耳を傾けて決断する自立期に入った、ということなのだと思います。私たちも、今、目に見える雲の柱や火の柱を目印にするのではなく、当初から聖書に書いてあるとおり、「主の言葉に従って」自分の道を決断します。
ただ、神さまは私たちを野放しになさったのではなく、はっきりとした羅針盤を示してくださいました。「言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。」私たちはイエス・キリストの御足の後に従って歩んでいきます。今生きておられるキリストは、今日どこに向かっておられるのでしょう。私のこの生活の中、私の行くべき所に、キリストはどのように歩んでおられるのか。私たちはキリストを私の道のヴィジョンとして頂き、この方に従って今日も歩いて行くのです。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...