2022年10月18日火曜日

2022年10月18日の聖句

主は命を奪い、また命を与え、陰府に降し、また引き上げます。(サムエル上2:6)
今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」(黙示録1:8)

「私はアルファであり、オメガである」と主なる神さまが言われます。アルファはギリシア語のアルファベットの最初の文字、オメガは最後の文字です。もしも日本語で言うならば、いろはの「い」とゑいもせずの「ず」ということになるでしょうか。最初であり、最後である、ということです。神さまはこの世界の最初であり、最後でいらっしゃる。初めにこの世界をお造りなり、最後に完成させる方。それは神さまです。
この世界の、というだけではありません。「主は命を奪い、また命を与え、陰府に降し、また引き上げます。」私たち一人ひとりの命の最初を、そして最後をお決めになるのは主なる神さまです。私たちを母の胎の中に形づくったのも、神さまです。いやそれどころか、私たちの親がまだ生まれてもいないまったくの闇のときに、すでに神さまの御心に私を留め、命を与えてくださったのはこの方です。そして、その神さまがやがて私から命をお取りになる。私たちの最後の日を決めるのは、神さまです。私たちはやがて死にます。しかし、私たちが降る陰府にも主がおられる。だから、陰府は既に陰府ではない。主がおられるからです。私たちが死んでもなお神さまは共にいてくださいます。そして、やがてキリストのように死から引き上げてくださる。私たちはそのことを望みにしています。
私たちの今日一日。そのアルファもオメガも、神さまです。私たちには自分の一日の営みすらも、自分で支えることができません。今日、私たちは命の最期を迎えるかも知れない。愛する人が最期を迎えるかも知れない。ところが私たちは無力です。何もできない。それは神さまの御手の内にあることです。死だけではない。私たちの今日一日の営みについても、自分の力の及ばないことはいくらでも出て来るでしょう。しかし、それも神さまの御手の内にあります。このお方が私たちの一日の小さな営みさえも憶えていてくださいます。
だから、私たちの祈りは「御名が崇められますように」であり、「御国を来たらせたまえ」です。私たちの思いを超えて御心を行ってくださる方に、栄光が世々限りなくありますように。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...