2022年10月2日日曜日

2022年10月2日の聖句

災いだ、他人のもので自分のものを増し加える者よ。いつまで続けるのか。(ハバクク2:6)
あらゆる貪欲に気をつけなさい。有り余るほどの物を持っていても、それで生きる者は誰もいないからです。(ルカ12:15)

今日の旧約聖書の御言葉は「災いだ」と始まっています。「災いだ、他人のもので自分のものを増し加える者よ。いつまで続けるのか。」
主イエス・キリストは「幸いだ」と語りかけておられます。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。(ルカ6:20)」主イエスは貧しい人々に「幸い」と語りかけ、その逆に今既に豊かなものには「災いだ」と言われます。「しかし、富んでいる人々、あなたがに災いあれ、あなたがたはもう慰められている。」富を自分の慰めとし神を求めない者は不幸だ、と主イエスの強い嘆きが込められた言葉です。なんとかして神さまの御許に私たちを連れ戻そうと、主イエスは私たちに訴えておられます。
今日の旧約の御言葉も、主イエスとまったく同じ情熱をもっています。「災いだ、他人のもので自分のものを増し加える者よ。いつまで続けるのか。」豊かさの魔力に取りつかれると、私たちはそれが自分を幸せにすると思い込みます。もちろん生きるためにはある程度の富が必要ですし、現代社会の中で仙人のような生活はできないし、自給自足も無理があります。しかし、根本的に「私」を支えているものは一体何か、と主イエスは問うておられるのではないでしょうか。
それは、今日の旧約も新約も、共に私たちの貪欲を問題にしていることからもよく分かります。「あらゆる貪欲に気をつけなさい。有り余るほどの物を持っていても、それで生きる者は誰もいないからです。」他人のものを奪い、自分の欲望を満たそうとする。私たちにとって、一番身近な欲望です。一番私たちに襲いかかってくる罪です。
私たちの食卓に並ぶ皿は、世界の飢えと無関係ではありません。何も考えないことは、現代社会では恐ろしい残忍さです。世界の困窮と、私の満ちた皿。主イエスは、分かち合うことを求めておられます。私たちの命を支えるいちばん大切な根は、神さまが与えてくださる命。だから、与えられたものを感謝して分かち合うように、と主イエスは私たちをキリストにある貧しさへ招いておられるのです。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...