2022年10月21日金曜日

2022年10月21日の聖句

主が私を遣わされた。シオンの嘆く人に、灰の代わりに頭飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、沈む心の代わりに賛美の衣を授けるために。(イザヤ61:1,3)
息子は言った。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」しかし、父親は僕たちに言った。「急いで、いちばん良い衣を持って来て、この子に着せなさい。」(ルカ15:21~22)

「主が私を遣わされた。」これは、私たちのことです。主なる神さまは私たちをお遣わしになりました。今日、私たちがそれぞれに生きる場所、それが職場であろうと家庭の中であろうと、趣味のサークルであろうと、公園でもスーパーマーケットでも、どこであっても、それは主に遣わされた場所です。
そして、そこで果たすべき使命が私たちにはある。神さまは私たちをある使命に付かせるために派遣なさいました。私たちの使命、それは「シオンの嘆く人に、灰の代わりに頭飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、沈む心の代わりに賛美の衣を授けるために」と書かれているとおり、嘆く人に喜びの知らせを告げることです。悲しむ人にキリストの望みを運ぶことです。心沈んでいる人のところへ行って、神を賛美する心を届けるためです。
賛美はどこから生まれてくるのか。そのことを失われた息子のたとえ話が伝えます。この息子は、家を遠く離れたところから惨めな姿で帰って来て、父に言いました。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」この息子は、もう自分には息子と呼ばれる資格がないと言いました。自分が父を捨てたからです。父を深く傷つけたからです。父の愛を無碍にしたからです。だから自分には息子たる資格がない。本当はこれに続けて、雇い人の一人にしてくださいと言うつもりでした。息子としてはもうここにはいられない。せめて雇い人に・・・。ところが父はその謝罪を最後まで言わせずに僕に命じます。「急いで、いちばん良い衣を持って来て、この子に着せなさい。」この子は私の息子!死んでいた息子が生き返ったのだ!さあ、喜ぼう!父はそのように言うのです。
これが私たちの身に起こった事実です。神さまは私たちのご自身の息子として受け入れて下さった。資格を問うことなく。これが私たちの賛美の源泉。だから、私たちは嘆きの日に喜ぶことができる。沈む心は賛美に代わる。神の尽きることのない愛が、私たちを神の子にしてくださったから。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...