2022年10月22日土曜日

2022年10月22日の聖句

私たちは何を行うべきか分からず、ただあなたに目を向けるのみです。(歴代誌下20:12)
信仰の創始者であり、完成者であるイエスを見上げ続けて参りましょう。(ヘブライ12:2)

詩編第123編にこのような言葉があります。
「ご覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ
はしためが女主人の手に目を注ぐように
わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ
憐れみを待ちます。」
主なる神さまの僕やはしためとは、神さまの御手に目を注ぐ人のことです。おとめマリアのところへ天使が来て、あなたは胎に子を宿す、その人は神の子救い主だと言われたとき、彼女は「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」と応えました。マリアはまさに主なる神さまの御手を見つめ、その御心のままに自分も生きます、そのために私を使ってくださいと祈ったのです。
聖書は私たちに、目を神に向けようと励まします。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスを見上げ続けて参りましょう。」心が挫けてしまうとき、信仰が萎えてしまいそうになるとき、しかし、主なる神さまに向かって目を上げましょう。そこには尽きることのない恵みがあり、主イエスさまを私たちに与えてくださった愛があります。私たちの目を上げる。そして、主イエスさまを見る。主イエスのお姿は、聖書が私たちに余すところなく伝えています。このお方に神さまの御心が詰まっているのです。
「私たちは何を行うべきか分からず、ただあなたに目を向けるのみです。」これは本当に謙遜な言葉だなと思います。キリストこそが私の生きる基準だと言います。キリストを仰いで生き方を決めますと告白します。私たちのための神さまから尽きることのない祝福は、この方に余すところなく現れたからです。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...