2022年12月28日水曜日

2022年12月28日の聖句

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしは神がわが助け、わが神であられることに、なおも感謝を捧げよう。(詩編42:12)
このような望みを抱いているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。(2コリント3:12)

今、うなだれてはいませんか?思いが乱れてはいませんか?詩編はかつて生きた信仰者の祈り、私たちと同じ神を信じる人の祈りです。代々のキリスト者たちが祈り継いできた祈りの言葉です。うなだれ、思いが乱れる自分の魂に向かって言います。
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。」
この詩編は、自分の魂に向かって「何ゆえ」と言います。本当であればうなだれるはずがないのに、本来であれば思いみだれる筈がないのに、という気持ちが込められているように思います。神さまを信じている私、神さまに望みを置いている私。そのことはよく分かっている。それでも、なぜかうなだれてしまう。神を信じているのに、なぜか思いみだれてしまう。わが魂よ、何ゆえうなだれ、何ゆえ思いみだれるのか。自分自身の心の奥底に向かって問うています。
そして、さらに言います。「神を待ち望め。」うなだれ、思いみだれるけれど、神を待ち望もう。あるいは、そうであるからこそ神を待ち望もう。そのように自分自身の魂に向かって呼びかける。やはり神にしか私の望みはないから。他の一体誰を頼ろうか、他の一体どこに私の救いがあるだろうか。ただ神を待ち望め。そのように自分の魂を説得します。「わたしは神がわが助け、わが神であられることに、なおも感謝を捧げよう。」
使徒パウロは祈りの人です。今日の旧約聖書の祈りも、きっとパウロにとって愛する言葉だったに違いありません。彼は言います。「このような望みを抱いているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。」パウロは祈りで世界を変えた人です。大胆に福音に生きました。彼の大胆な生き方を支えたのは、大胆な信仰です。大胆な信仰は、ただ神が下さる望みの大胆さから生まれます。神が私の神でいてくださる。その事実を喜び、信じ、そこから力を頂いて、彼は大胆に祈り、自分の魂に大胆に呼びかけました。「わが魂よ、神を待ち望め!」今日、私たちも同じように、大胆に祈りましょう。「わが魂よ、神を待ち望め!神こそわが助け!」

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...