2022年12月5日月曜日

2022年12月5日の聖句

御旨に適って行うすべを教えてください。あなたは私の神だからです。あなたの恵み深い霊が平らな地で、私を導いてくださいますように。(詩編143:10)
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。(ガラテヤ5:22~23

「御旨(みむね)」、神様のご意志ということです。神様のご意志に適うすべ、神様に喜んで頂ける生き方をするにはどうしたら良いか、神さま教えてください。そういう祈りの言葉です。私たち自身の祈りです。私たちも同じように願っています。神さまに喜んで頂ける生き方をしたい。神さまのご意志に適う生き方をしたい、と。しかし、どうしたら良いのでしょうか。私が勝手に神さまのご意志を決めてしまうことはできないし、神さまが何を望んでおられるのか、一体どうしたら分かるのでしょう。
それで、今日の新約聖書はガラテヤの信徒への手紙が伝える「御霊の実」が記されています。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」しかし、という逆接の接続詞から始まっています。この文章の前には「肉の実」が挙げられている。「淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他この類いのものです。」これに対して、御霊の実、つまり神の霊が私たちの内に結んでくださる実りは、と言って愛から始まってあれら9つの実りを数えている。私たちの肉の欲から生まれる実りは、神さまの御心に適わない。ところが私たちがキリスト・イエスを信じ、キリストに属し、キリストと共に自分の欲を十字架につけてしまったなら、私たちの内にはキリストご自身の霊の結ぶ実が生まれるのだ、と言うのです。
神さまの御旨は、例えば今日の私の晩ご飯についての御旨、というかたちでは現れないのだと思います。今度買う車の車種や色についての神さまの御旨を、ご託宣のように求めることはかえって間違いです。私たちの信仰は占いや運勢判断の類いとは違うからです。むしろ、私たちがキリストの十字架を仰いで愛を持って生きること、喜んで生きること、平和に、寛容を持って、親切に、善意に満ち、誠実に、柔和な心で、節制して生きることを、神さまは望んでおられます。
「そんなことできない」というのが、私たちの正直な感想かも知れません。当然です。そんな完璧なことはできない。自分の力でやろうと思っているかぎりは。私たちは自分のあり方を神さまに明け渡して、ただキリストを見つめます。私のために十字架にかかったキリストを。その私の内に、私の頑張りではなくキリストご自身の霊が働き始めている。実りを結んでいる。聖書はその現実を私たちに気づかせているのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...