2022年12月6日火曜日

2022年12月6日の聖句

あなたの国には暴虐はもう聞かれず、あなたの領土には破壊と破滅は聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぶ。(イザヤ60:18)
しかし、私たちは、神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地とを待ち望んでいます。(2ペトロ3:13)

今日の旧約聖書の御言葉は、主なる神さまの告げる救いと平和の約束の言葉です。ですからここに登場する「あなた」は私たちのことと考えて差し支えないでしょう。私たちは、もはや私たちの国において暴虐を、私たちの領土において破滅を聞くことがない。神さまが私たちの救いとなる。武力が平和をもたらすのではない。力によって平穏がもたらされるのでもない。神様ご自身が私たちの平和。この方が私たちの平和になってくださる。そういう力強い神さまの約束のメッセージです。
クリスマスの夜、救い主キリストの誕生を祝い、天の軍勢が歌いました。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」ここでも「平和」と歌われています。救い主が来てくださった!それは私たちに平和が訪れたということに他なりません。神の平和が私たちに訪れた。
キリストが来られた。キリストは十字架にかけられた。私たちの平和として、私たちを神と和解させてくださいました。キリストが私たちの間に平和を作ってくださいました。しかしそれは、まだ完成していません。私たちはまだ苦しみ続けている。平和ではないこの世界の現実に。悪が支配するこの世界の暴力性に。私たちはキリストの約束を信じ、この世界の中で、信じるからこそ救いを待ち望んで今を生きています。
「しかし、私たちは、神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地とを待ち望んでいます。」今日の私たちの一日は、キリストの救いを待ち望む一日です。キリストは再び来て、私たちの間に平和を完成してくださる。私たちをご自分の途方もない愛の中で必ず救ってくださる。その日には、キリストご自身が光となって私たちを照らしてくださいます。太陽も、月も、私たちを照らす必要がありません。キリストが私たちを照らす明かりになってくださるから。私たちの太陽はもはや沈むことがなく、月は欠けることもない。主が私たちのとこしえの光となって、私たちの嘆きの日々は終わるからです。私たちは大いなる救いの日を待ち望んで、今日を生きていきます。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...