2023年1月14日土曜日

2023年1月14日の聖句

あなたの眼は私を見ていた。私という存在がまだ用意されていなかったにもかかわらず。そして、これから生じていくすべての日々があなたの書に書かれていた。(詩編139:16)
自分の命のことで心配するな。(マタイ6:25)

「自分の命のことで心配するな!」主イエス・キリストからの大いなる呼びかけです。私たちは自分の命のことで心配しなくていい。慈しみに満ちた神さま、私たちの天の父であるお方が私たちのことを心配し、配慮し、準備してくださっているからです。私たちは、自分の明日をこの方の愛にお任せしていい。主イエスさまはそのように宣言なさいます。「自分の命のことで心配するな!」
この神さまの慈しみの事実を、旧約の信仰者はこのように言い表しました。「あなたの眼は私を見ていた。私という存在がまだ用意されていなかったにもかかわらず。そして、これから生じていくすべての日々があなたの書に書かれていた。」
私たちの父である神様は、私という存在がまだ用意されていなかったときにすでに私たちを見ておられた、と言います。まだ母の胎にもいなかったとき。それどころか父母未生以前の闇に、もうすでに神さまは私の父として私をご覧になり、覚え、ご自分の命の書に名前を記してくださっていました。それが私たち神を信じる者の、自分の存在以前への確信です。私の存在を私は私自身によって支えることはできません。私は私が死んだ後にはいなくなってしまうし、それと同じように生まれる前には存在しない。私たちは自分の命の前に対しても後に対しても無力です。命の前も後も私たちにはどうすることもできない。そこには滅びしかない。ところが、神さまはそうではありません。無であり滅びしかない私たちの命ですが、神さまは私たちが全く存在していないときに既に私を憶えていてくださる。それと同じように、私が死んで消滅した後も私を覚え、見ていてくださいます。「そして、これから生じていくすべての日々があなたの書に書かれていた。」
私たちはかつては存在しなかったし、やがて無に返って滅びます。しかし、神さまは私たちのこれから後のことも憶えていてくださり、キリストにあって私たちを滅びから救ってくださる。そして、私たちの死からの救いは、かつて私たちが洗礼を受けたときに既に始まりました。洗礼は、私たちの死の象徴です。洗礼を受けたとき、私たちは一度死に終わっている。そして、キリストにある甦りの命に生き始めている。神さまの御目の中で、私たちの新しい命は既に始まっているのです。だから、キリストは言われます。「自分の命のことで心配するな!」

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...