2023年1月26日木曜日

2023年1月26日の聖句

あなたは喜びを私の心にくださいます。それは穀物と新しい葡萄酒が豊かにあるときにもまさっています。(詩編4:8)
神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。(ローマ14:17)

穀物と新しい葡萄酒。それはどちらも生きるために必要なものです。葡萄酒は今では嗜好品ですが、当時のイスラエルでは生きるための必需品です。日本のように湿潤ではない場所ですし、衛生環境も悪く、ぶどう酒は大切な役割を果たしていました。ですから、穀物が無事に生育し収穫できたとき、そして、ぶどうをワインにして新しい葡萄酒ができあがったとき、それは大きな喜びだったと思います。これで、やっと次の一年を生きることができる。そういう命の喜びです。
しかし、そのような穀物や新しい葡萄酒の喜びに優って、神が下さる喜びを楽しんでいます。「あなたは喜びを私の心にくださいます。それは穀物と新しい葡萄酒が豊かにあるときにもまさっています」。なぜなら「神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜び」だから。飲み食いに優る喜びがここにある、と聖書は私たちに訴えています。
聖霊によって与えられる義と平和と喜び。どうして、義と平和と喜びという三つがここで数えられているのぜでしょうか。「義」というのは、神の義という意味に違いありません。神ご自身が打ち立てられる義、そして、神さまが私たちと結んでくださる正しい関係。聖書はそれを「義」と呼びます。何か抽象的で絶対的な正しさみたいなものがあるというのではなく、「義」は神さまとの関係の中で考えられています。
「平和」もやはり神さまがキリストにあって私たちと和解してくださったこと。そして、神さまが私たちとの間を平和にしてくださったことに基づいて私たちが互いに愛し合うこと。そこに平和が生まれる。従って「平和」も関係の中で考えることです。
そう考えると、最後の「喜び」も、一人で楽しくやってるとか面白がっているということではなくて、神さまとの関わりにおける喜び、神が与えてくださる喜びであり、また神の愛を共に喜ぶ私たち相互の喜び、あるいはキリストがしてくださったように互いに仕え合うときに生まれる喜びです。
すなわち、聖霊が私たちに与えてくださる義と平和と喜びは、どれも関わりの中で考えられることです。神さまとの関わりであり、神様にある隣人との関わり。共に生きる喜びです。それは、穀物にも新しい葡萄酒、つまり自分の飲み食いの安定や安心にまさる喜び。神さまはご自分を信じる者を、格別な喜びへ招いてくださっています。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...