2023年3月6日月曜日

2023年3月6日の聖句

万軍の主はこう言われる。あなたがたに触れる者は私の目の瞳に触れる者だ。(ゼカリヤ書2:12)
あなたがたが、これらの私の兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、私にしたのです。(マタイ25:40)

他人の目の瞳なんて、触ることは絶対にできません。一番の急所です。第一、指を人に伸ばしてきたら目をつぶってしまうし、絶対にそれを拒絶します。それでもなお目の瞳に触れてくる。主なる神様は言われます。「あなたがたに触れる者は私の目の瞳に触れる者だ」と。目の瞳のように私はあなた方を大事にしている、と言われるのです。
この「あなたがた」とは一体誰のことか。そのことについて、今日のローズンゲンは新約聖書に記された主イエスの御言葉を手がかりに明らかにしています。「あなたがたが、これらの私の兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、私にしたのです。」主がご自身の兄弟と呼ぶ者たち、しかも最も小さい者の一人。それが、主がご自身の目の瞳のように大事にする者たちだ、と。
更に、この主イエスの御言葉が語られている文脈を気にしてみると、「最も小さい者」とは誰を指しているのかが明らかになってきます。それは、飢えている人、喉が渇いた人、宿のない見知らぬ人、着る物のない裸の人、病気の人や牢に囚われている人。そういう人々のことです。この人たちのためにしたことは私にしたのである、と主は言われます。
この主イエスさまの御言葉は、たくさんの人々を励ましてきました。マザー・テレサも、この御言葉を胸に、愛の業に生きたそうです。トルストイはこの御言葉によって靴屋のマルチンの話を書きました。私たちは、この主イエスさまの御言葉を聞いて、今日をどのように生きるのでしょうか。私たちの前に現れる「最も小さな者」は、主がご自分の目の瞳のように思っておられる存在です。私たちが出会う最も小さな人にしたことは、主がご自身にしてくれたこととして御心に刻むとおっしゃるのです。私たちは、どのようにこの御言葉を聞き、そして今日を生きるのでしょうか。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...