2023年5月10日水曜日

2023年5月10日の聖句

私の手は短すぎて、贖い出すことができず
私には救い出す力がないと言うのか。(イザヤ50:2)
すると、規定の病を患っている人が近寄り、ひれ伏して、「主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります」と言った。(マタイ8:2)

規定の病。以前使っていた新共同訳の聖書では「重い皮膚病」と翻訳されていました。旧約の時代では非常に忌諱されていた病気でした。旧約聖書にはこのような言葉があります。「規定の病にかかった人は衣服を引き裂き、髪を垂らさなければならない。また口ひげを覆って、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。(レビ記13:45)」そうやって、人が自分に近づかないようにするのです。今日のマタイによる福音書に登場する人も、同じように生きていたことでしょう。
この病にかかった人は本当に辛い目に遭わされていました。絶望という言葉などでは足りないと思います。そんな一人の人が、律法の禁を犯して主イエスの御許に近寄り、言うのです。「主よ、お望みならば、私を清くすることがお出来になります」と。主イエス・キリストはこの人におっしゃいます。「私は望む。清くなれ」!
もしかしたら私たちはすぐに、神様には私を救うことなんてお出来にならないのだと思い込んでしまうところがあるのかも知れません。あまり期待しすぎるとかえって自分が傷つくかも知れないから、適度なところでやめておこう、と。
ところが主なる神様はおっしゃいます。「私の手は短すぎて、贖い出すことができず、私には救い出す力がないと言うのか。」ひと言で言えば、「嘗めるなよ」ということではないでしょうか。神様は、私たちが神様を見くびり、私たちを救う力など無いと考えることをお許しにならない。神さまは私たちを救う力をお持ちだし、事実そのためにキリストを十字架にかけ、復活させたのです。
本当の問題は、主なる神様に私たちを救うことがお出来になるかどうかではなく、主が何を望んでおられるのか、ということです。そして今日私たちが聞く福音は、主イエス・キリストは私たちの救いを望んでいてくださる、ということです。キリストは私たちの救いを望んでいてくださる!
ですから、キリストは私たちの救いのための最もふさわしいことをしてくださいます。私たちを神の国に生かすために、私たちのための御業をしてくださっている。ですから私たちの祈りは、これです。「主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります」アーメン!

2024年5月6日の聖句

災いの日に、主は私を仮庵に隠し、幕屋の隠れ場にかくまってくださる。(詩編27:5) 主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3) 私たちの神さまは、災いの日に私たちをかくまい、私たちを守ってくださるお方です。どんな災いにも打ち勝ち、ど...