天の神は永遠に滅ぼされることのない王国を興されます。(ダニエル2:44)
(イエスの弟子たちへの言葉)「わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。そうしてあなたがたは、わたしの国で私の食卓に着いて食べたり飲んだりするようになる。」(ルカ22:29~30)
主イエスは、時に途方もないことをおっしゃいます。あまりのことに言葉を失ってしまう。「わたしもあなたがたに王権を委ねます」とおっしゃっています。王権?弟子たちに?何という言葉でしょうか。
ここは少し文脈を見た方がよいように思います。時は主イエスが十字架にかけられる前の晩。いわゆる最後の晩餐での対話です。主イエスが弟子たちと共に食卓を囲み、パンを取ってご自分の体と言って与え、杯を取ってご自分の血と言ってお与えになった。すると弟子たちは自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、と言い争いを始めました。十字架を前にした主イエスの真剣さからしたら本当にひどくて、目を覆いたくなるような醜態です。これに対して主イエスは「異邦人の王たちはその民を支配し、民の上に権力を振るう者が恩人と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない」とおっしゃって、「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」とお命じになった。そういう話に続けて、主イエスは今日の御言葉をお語りになったのです。
主イエス・キリストが私たちに与えてくださるという王権。それはこの世の権力者が振るっているような王権ではないようです。私たちが常識的に受け入れている王権とは違うようです。いちばん若い人のように仕える者になれ、と主イエスはおっしゃいます。事実、キリストご自身が弟子たちに仕えてくださいました。主イエスはこの食卓で、パンをご自分の体、杯をご自分の血と言ってお与えになった。実際に数時間後に主イエスはご自分の肉を裂き、血を流した。そうやって弟子たちのために仕えてくださった方が、私たちにも仕える王になれとおっしゃるのです。そして、王イエスに従う私たちという王は、神の国でキリストの食卓に連なることが許されている。私たちはキリストの下さる報いだけを求め、キリストがしてくださったように生きる。主イエスさま御自身が、私たちをそのような道へと招いてくださっています。
(イエスの弟子たちへの言葉)「わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。そうしてあなたがたは、わたしの国で私の食卓に着いて食べたり飲んだりするようになる。」(ルカ22:29~30)
主イエスは、時に途方もないことをおっしゃいます。あまりのことに言葉を失ってしまう。「わたしもあなたがたに王権を委ねます」とおっしゃっています。王権?弟子たちに?何という言葉でしょうか。
ここは少し文脈を見た方がよいように思います。時は主イエスが十字架にかけられる前の晩。いわゆる最後の晩餐での対話です。主イエスが弟子たちと共に食卓を囲み、パンを取ってご自分の体と言って与え、杯を取ってご自分の血と言ってお与えになった。すると弟子たちは自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、と言い争いを始めました。十字架を前にした主イエスの真剣さからしたら本当にひどくて、目を覆いたくなるような醜態です。これに対して主イエスは「異邦人の王たちはその民を支配し、民の上に権力を振るう者が恩人と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない」とおっしゃって、「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」とお命じになった。そういう話に続けて、主イエスは今日の御言葉をお語りになったのです。
主イエス・キリストが私たちに与えてくださるという王権。それはこの世の権力者が振るっているような王権ではないようです。私たちが常識的に受け入れている王権とは違うようです。いちばん若い人のように仕える者になれ、と主イエスはおっしゃいます。事実、キリストご自身が弟子たちに仕えてくださいました。主イエスはこの食卓で、パンをご自分の体、杯をご自分の血と言ってお与えになった。実際に数時間後に主イエスはご自分の肉を裂き、血を流した。そうやって弟子たちのために仕えてくださった方が、私たちにも仕える王になれとおっしゃるのです。そして、王イエスに従う私たちという王は、神の国でキリストの食卓に連なることが許されている。私たちはキリストの下さる報いだけを求め、キリストがしてくださったように生きる。主イエスさま御自身が、私たちをそのような道へと招いてくださっています。