2023年5月11日木曜日

2023年5月11日の聖句

主はこう言われる。ぶどうの房に汁があれば、それを損なうな。そこには祝福があるから、と人は言う。私はわが僕らのために、すべてを損なうことをしない。(イザヤ65:8)
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:17)

ぶどうの実が潰れて腐りかけているように見えても、もしもそれが発酵しているなら葡萄酒になります。そこには祝福がある。見てくれば悪くなっても捨ててはならない。人はそのように言う。人の知恵はそういうものだ。悪く見えても実際には良いものを探して、活かす。ところが、主なる神様のまなざしは根本的に違います。「私はわが僕らのために、すべてを損なうことをしない。」主なる神様は私たちに見所があるかどうかに関係なく、悪く見えるけれど本当は良いものだからということではなく、ただ私たちへの憐れみとご自身の愛のゆえに、私たちを損なうことなく救ってくださいます。
聖書は驚くべきことを言います。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」神様は私たちを裁くためではなく、救うためにキリストをお送りくださった。それは私たちに見所があるからとか、今はぐちゃぐちゃに見えてもよく発酵すれば改善の余地があるからとか、そのようなことには関わりが無いのです。ただキリストに示された神の愛が確かであるから、神は私たちを裁くのではなく救ってくださった。
今日生きる私たちのこの命は、主イエス・キリストの愛によって支えられています。私たちの命、存在、今日歩むためのすべてを、私たちを裁くのではなく救うお方が保ってくださっている。だから今日、私たちは生きることができるのです。

2026年4月30日の聖句

あなたの目の前には千年も 過ぎ去ればきのうのごとく、 夜の間のひと時のようです。(詩編90:4) 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔...