2023年5月12日金曜日

2023年5月12日の聖句

彼らは泣きながらやって来る。
わたしは彼らを、
慰めながら連れ戻る。
わたしは彼らを、
水の流れのほとりに、
つまずくことのない平らな道に導く。
まことに、わたしはイスラエルには父である。(エレミヤ31:9)
あなたがたは今も悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。(ヨハネ16:22)

「まことに、わたしはイスラエルには父である。」私たちはキリストに教えていただいたとおりに、「父よ」と神様に向かって祈ります。神様は私たちの父でいてくださる。主ご自身が私たちに言ってくださるのです。「まことに、わたしはイスラエルには父である。」
このお方が私たちの父でいてくださるとは、泣いている私たちを慰め、渇く私たちを水のほとりに、つまずく私たちを平らな道に導いてくださる、ということです。私たちの神様は慈しみ深い父でいてくださる。だから私たちは神様の優しさを信じて「父よ」とお呼びして祈ります。この方が必ず祈りを聞き、私たちを慰めてくださると信じて。
どのような思いで今日の朝をお迎えになっているでしょうか。疲れがとれていなかったり、何か心配になることで心を塞がれていたり、悲しみに覆われたりしていないでしょうか。そのような時にこそ、「父よ」とお呼びして祈りたい。この方は慈しみの父として私たちを慰め、必ず私たちの涙を拭ってくださるからです。
主イエスのくださる究極の慰め、それは主ご自身が私たちと再び出会ってくださることだ、と言われます。主イエスさまと顔と顔とを合わせてお目にかかる日が必ず来る。だから大丈夫、必ず私たちは喜びで満たされる。誰にも奪い去ることのできない喜びに私たちは覆われる。これが、主イエス・キリストの約束であり、私たちの父でいてくださる神様の約束なのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...