2023年5月18日木曜日

2023年5月18日の聖句

人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。(箴言19:21)
さて、使徒たちは集まっていたとき、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」(使徒1:6~8)

旧約以来、聖書の民にとっての「救い」とは、イスラエルの国の再建でした。王ダビデの子孫が再び現れて、神の民イスラエルの王国を再建する。ですから主イエスが現れたとき、人々はイエスを「ダビデの子」と呼びました。この方こそまことの王に違いない、と期待したのです。ところが、いつまで経ってもイエスは王らしくふるまってはくれない。人々の期待通りの王になってくれない。罪人の家に入り、軍馬ではなくろばに乗ってエルサレムに入ります。イエスは王としては期待外れでした。期待外れの王は十字架にかけられた。ところが、そのイエスを神が復活させた。墓から甦った。それで、弟子たちは知ったのです。この方こそまことの王、メシアだ、と。「メシア」というのは、何よりも「王」という意味です。私たちはイエスをまことの王と信じている。
「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」という弟子たちの問いは、そういう文脈を考えるとよく分かります。復活し、まことの王になられたあなたはいよいよ国を再建してくださるのですね、と新たな期待を込めて問うたのです。しかし、またしても主イエスの答えは、弟子たちの期待とは違うものでした。「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。」
主イエス・キリストは私たちの期待に従って何かをなさる方ではありません。父なる神様の権威に従って私たちをお治めになります。しかもその御支配は、力によって私たちをねじ伏せるものではない。私たちをご自分の証人として遣わし、福音の言葉を語らせることによって始まる支配です。主は王となられた!この福音の言葉が、神の国がここに来ていることの証しなのです。
私たちもキリストが告げた神の国に仕えます。キリストが宣言した神の福音に生きます。神様がご自分の権威に基づいてお始めになった神の御支配は、私たちの間にももう既に始まっているのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...