ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。(サムエル記上17:47)
どんな家に入っても、まず、「この家に平和があるように」と言いなさい。(ルカ10:5)
今日の新約聖書の御言葉は、主イエス・キリストが72人の弟子たちを伝道にお遣わしになるときにかけた言葉です。ある家を訪ね、そこで福音を語ろうとするとき、まず何よりも先にその家に挨拶をする。しかもそこで告げるべき挨拶は「この家に平和があるように」だ、と言うのです。すてきな挨拶です。
もしも伝道する人の挨拶が「あなたは呪われている」とか、「早く自分の罪を認めろ」とか、「あなたのこういうところが悪い」とかその類いであったとしたら、伝道というのはなんと重苦しく、厭な役目なのでしょうか!しかし、主イエスは私たちにそういう言葉を託されたのではありません。「この家に平和があるように!」私たちは平和を告げるために遣わされているのです。(キリストの平和の中で、その光の中で、初めて自分の罪にもまた気付きうるのです。)
この平和は力で相手を押さえつけることによって実現する平和ではありません。「ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。」主なる神様は剣や槍に頼らずに平和を造り出すことがお出来になる。主イエス・キリストの十字架と復活による平和。神との平和であり、私と隣人との平和。キリストの平和を、神は私たちの間に与えてくださる。私たちはその平和を宣言します。キリストの平和がこの家にもありますように!そうやって祝福を告げるのです。
今日も、キリストの平和がありますように。あなたにも、あなたの家族にも。キリストの平和があなたの家にあり、そしてあなたが今日出かけて行って出会う人にも、あなたを通してキリストの平和が届けられますように。主にある祝福を祈っています。
どんな家に入っても、まず、「この家に平和があるように」と言いなさい。(ルカ10:5)
今日の新約聖書の御言葉は、主イエス・キリストが72人の弟子たちを伝道にお遣わしになるときにかけた言葉です。ある家を訪ね、そこで福音を語ろうとするとき、まず何よりも先にその家に挨拶をする。しかもそこで告げるべき挨拶は「この家に平和があるように」だ、と言うのです。すてきな挨拶です。
もしも伝道する人の挨拶が「あなたは呪われている」とか、「早く自分の罪を認めろ」とか、「あなたのこういうところが悪い」とかその類いであったとしたら、伝道というのはなんと重苦しく、厭な役目なのでしょうか!しかし、主イエスは私たちにそういう言葉を託されたのではありません。「この家に平和があるように!」私たちは平和を告げるために遣わされているのです。(キリストの平和の中で、その光の中で、初めて自分の罪にもまた気付きうるのです。)
この平和は力で相手を押さえつけることによって実現する平和ではありません。「ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。」主なる神様は剣や槍に頼らずに平和を造り出すことがお出来になる。主イエス・キリストの十字架と復活による平和。神との平和であり、私と隣人との平和。キリストの平和を、神は私たちの間に与えてくださる。私たちはその平和を宣言します。キリストの平和がこの家にもありますように!そうやって祝福を告げるのです。
今日も、キリストの平和がありますように。あなたにも、あなたの家族にも。キリストの平和があなたの家にあり、そしてあなたが今日出かけて行って出会う人にも、あなたを通してキリストの平和が届けられますように。主にある祝福を祈っています。