2023年5月24日水曜日

2023年5月24日の聖句

私の霊が萎え果てるときも、あなたは私の小道を知っておられる。(詩編142:4)
すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)

今日の旧約聖書の御言葉は、詩編第142編4節の前半です。後半、つまり上掲の御言葉の直後にはこのように書かれています。「私が歩むその道で、彼らは私の網に罠を仕掛けた。」神が知っていてくださる私の小道、それは、誰かに罠を仕掛けられている道。自分に敵対している者でしょうか。心ない言葉、あるいは、罪に誘う甘言でしょうか。私たちには辛いことや悲しいことが起きます。そのために霊が萎え果ててしまう日もある。しかし、そのような日にも、神が私の小道を知っていてくださる。そこに慰めがある。
神さまは、私たちの「助けて」という声を決して聞き漏らすことがありません。耳を傾けて、私たちの呻きを聞いてくださいます。私たちには、辛かったり、悲しかったり、もうイヤになってしまうこともある。神さまはそのような私たちの進む小道を知っていてくださる。この「小道」という言い方も、慰め深いものです。決して大道ではない。たくさんの人が行き交う表通りでもない。しかし神さまは、私が進むこの道を知り、私を助けてくださる。だから、大丈夫。
主イエス・キリストが私たちを招いてくださっています。「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」私のもとに来なさいという招きは、「あなたがたを休ませてあげよう」という約束によって、喜びの招きになります。主イエスさまは私たちを休ませてくださる。私たちは主イエスのところで重荷を下ろすことができるし、苦労から解かれる。キリストの与えてくださる平安が、私たちを憩わせてくださいます。
主イエスさまが私たちに与えてくださる平安は、不思議です。主イエスは「あなたがたを休ませてあげよう」という言葉に続いて、「私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい」とおっしゃいます。キリストの負った軛を負うときに、私たちは安らぎを得る、と言われるのです。キリストは、何よりも私の罪を負ってくださいました。キリストの柔和とへりくだりによって私は救われました。キリストの軛を負うときに、私たちは、私のためのキリストの柔和とへりくだりを最もよく知るのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...