2023年5月6日土曜日

2023年5月6日の聖句

苦悩の中から主に呼びかけ、わが神に叫びを上げると、主は私の声を聞く。(詩編18:7)
イエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。(マルコ4:38)

「苦悩の中から主に呼びかけ、わが神に叫びを上げると、主は私の声を聞く。」この信用、主に守られている安心感、祈りが聞かれているという信頼。これが神を信じるということではないでしょうか。確かに、私たちには疑ってしまう時もあるかも知れません。どのような時にも信じ続けられるほど強くはないかもしれません。祈ってもむなしくなってしまう日もあるかも知れない。
あの嵐の中で主イエスと一緒に舟に乗っていた(はずの)弟子たちも、そうでした。「イエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生。私たちが死んでも、かまわないのですか』と言った。」主イエスはこのように起こされて、舟に吹き付けていた風や波を止めてくださいました。これで一件落着、無事に済みました・・・とはなりませんでした。主イエスは弟子たちを叱ります。「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか。」主イエスは弟子たちの不信仰をなじった。
主イエスはこの舟におられるはずなのに、舟は風や波に襲われている。今にも沈みそうになっている。肝心の主イエスは・・・眠っておられる。そう思って、弟子たちは怖くなってしまいました。これは私たちの状況とうり二つです。教会という舟に、主イエスは共にいてくださるはずです。ところが私たちに吹き付ける風や波に対して、主は何もしてくださらない。主は眠っておられるのか。何もしてくださらないのか。「先生。私たちが死んでも、構わないのですか。」ところが、それは不信仰な問いだと主は言われます。主がここにおられることを知らないのか、と。本当に眠っていたのは主イエスではなく、弟子たちや私たちの信仰だったのではないでしょうか。
「苦悩の中から主に呼びかけ、わが神に叫びを上げると、主は私の声を聞く。」主は必ず私たちの祈りを聞いてくださいます。私たちはそのことを本気で信じましょう。不信仰には、私たちがそれに真剣に向き合い、付き合わなければならないほどの価値がないのです。私たちは不信仰ではなく信仰を尊びます。キリストを信じ、キリストを信頼して祈ります。この方は必ず私たちの祈りを聞き、応えてくださるから。私たちはキリストを信じます。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...