父は子にあなたの真実を知らせる。(イザヤ書38:19)
あなたがたは、このように、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストの内に根を下ろし、その上に建てられ、教えられたとおり信仰によって強められ、溢れるばかりに感謝しなさい。(コロサイ2:6~7)
ここに「キリストにあって歩みなさい」とあります。これは、キリストの内を歩みなさい、という字で表されています。私たちはキリストの内、キリストの中を歩んでいく。それが主イエス・キリストを受け入れた者の歩む道だ、と言います。
キリストを受け入れるというと、自分の心の中にキリストを納めるというような印象を受ける言葉です。ところが聖書はそうは言わないで、キリストを受け入れるというのは、私たちの方がキリストの中に入っていくこと、そしてそこを歩んでいくことだ、と言います。私たちはキリストに受け入れて頂いている。私たちはキリストに受け入れられていることを受け入れる、ということではないでしょうか。
それは、キリストの内に根を下ろして、その上に建てられることでもあります。切り花は数日で枯れてしまいます。鉢植えの花は手入れをすれば長持ちしますが、しかしある限界を持っている。しかし地植えして根を下ろし、しっかりと大地に根を張った植物は強い。私たちはキリストという揺るぎない大地に根を下ろす。水も養分もキリストが下さるし、また、私たちを照らす光もまたキリストご自身に他ならない。更に、それはキリストの上に建てられることです。今度は建物のように、私たちはキリストの上にしっかりと建つ。どんな大嵐や地震が襲ってきても打ち勝つことができるのは、キリストという大地が揺るぎないから。私たちではなくキリストの確かさが私たちを救う。
私たちは、ただキリストに生かされているだけです。キリストの愛が私たちを生かし、私たちを立たせ、私たちを確かにする。だから私たちは今日もキリストの内に歩んでいくのです。
あなたがたは、このように、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストの内に根を下ろし、その上に建てられ、教えられたとおり信仰によって強められ、溢れるばかりに感謝しなさい。(コロサイ2:6~7)
ここに「キリストにあって歩みなさい」とあります。これは、キリストの内を歩みなさい、という字で表されています。私たちはキリストの内、キリストの中を歩んでいく。それが主イエス・キリストを受け入れた者の歩む道だ、と言います。
キリストを受け入れるというと、自分の心の中にキリストを納めるというような印象を受ける言葉です。ところが聖書はそうは言わないで、キリストを受け入れるというのは、私たちの方がキリストの中に入っていくこと、そしてそこを歩んでいくことだ、と言います。私たちはキリストに受け入れて頂いている。私たちはキリストに受け入れられていることを受け入れる、ということではないでしょうか。
それは、キリストの内に根を下ろして、その上に建てられることでもあります。切り花は数日で枯れてしまいます。鉢植えの花は手入れをすれば長持ちしますが、しかしある限界を持っている。しかし地植えして根を下ろし、しっかりと大地に根を張った植物は強い。私たちはキリストという揺るぎない大地に根を下ろす。水も養分もキリストが下さるし、また、私たちを照らす光もまたキリストご自身に他ならない。更に、それはキリストの上に建てられることです。今度は建物のように、私たちはキリストの上にしっかりと建つ。どんな大嵐や地震が襲ってきても打ち勝つことができるのは、キリストという大地が揺るぎないから。私たちではなくキリストの確かさが私たちを救う。
私たちは、ただキリストに生かされているだけです。キリストの愛が私たちを生かし、私たちを立たせ、私たちを確かにする。だから私たちは今日もキリストの内に歩んでいくのです。