2023年7月22日土曜日

2023年7月22日の聖句

この方こそ主、私たちが望んでいた方。
さあ、その御救いを歓呼し、喜ぼう。(イザヤ25:9)
信仰とは望んでいることを確信すること、見えないことを疑わないことです。(ヘブライ11:1)

「この方こそ主、私たちが待ち望んでいた方。」待ち望むというのは、考えてみれば当然ですがその対象はまだ実現していないということになります。私たちは主を待ち望んでいる。言葉を換えれば、主はまだ来ておられない、ということです。更に言えば、まだ救いは完成していないということになる。
まだ救いは完成していないというのは、私たちは誰もが知っている。この世界には今もなお苦しみがあり、悪がはびこり、世は罪や死の力に覆われている。ですから、使徒パウロもコリントに宛てた手紙の最後のところにこのように書きました。「主よ、来たりませ(一コリ16:22)。」主イエスさまが早く来てくださって私たちを救ってくださいと祈るしかない。それが私たちの生きるこの世界ではないでしょうか。
私たちは主を待ち望んでいます。主イエスさまが来て、救いを完成してくださる時を待ち望んでいます。使徒信条には「(主イエスが)そこからこられて、生きている者と死んでいる者とを裁かれます」と告白されています。必ず主イエスが来て、私たちを救ってくださるという信仰が表明されている。
この使徒信条の言葉にいかなる慰めがあるのかということについて、ハイデルベルク信仰問答はこのように告白しています。「わたしが、あらゆる患難や迫害の中にも、頭を挙げて、この審判者を待ち望むことが出来るためであります。主は、わたしのために、すでに、神のさばきに対して、ご自身を与え、すべての呪いを、わたしから取り除いてくださり、また主とわたしのすべての敵を、永遠の罰の中に、投げ入れ、しかも、わたしは、すべての選ばれた者らとともに、御許に召し天の喜びと栄光のうちに、入れてくださるのであります。」
私たちは主イエス・キリストを待ち望んでいます。この方の完成してくださる救いを待ち望んで、今この時を生きています。頭を、目を上げて、主イエス・キリストを待ち望みましょう。そして喜びをもってこのお方の前に、今日の日も生きていきましょう。

2026年3月20日の聖句

見てください、私の苦しみと労苦を。 取り除いてください、私の罪のすべてを。(詩編25:18) 私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝します。(ローマ7:24~25) 今日の二つの御言葉...