2023年8月2日水曜日

2023年8月2日の成句

苦難のはざまから主を呼び求めると、主は私に耳を傾け、慰めてくださった。(詩編118:5)
(パウロの手紙)私たちがあなたがたについて抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、私たちは知っているからです。(2コリ1:7)

今日の新約聖書の御言葉にある「慰め」という言葉は「隣で呼びかける」という字を書きます。私の、聖書の中でも特に好きな言葉です。どこか遠くで何かを言っているのではない。隣りにいる。隣りにいて、横から心に届く言葉を語りかける。そこに慰めの対話が生まれる。
「私たちがあなたがたについて抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、私たちは知っているからです。」パウロはそのように言います。しかしこれは、パウロとコリント教会との関係を考えると、決して当たり前の言葉ではありませんでした。
パウロとコリント教会との関係は、とても悪いものでした。コリント教会にはパウロを激しく批判する人が何人もいて、そういう人々に引きずられるようにして教会全体がパウロとの関係を悪くしてしまっていたようです。ところがそういう人たちに向かって、パウロは言うのです。あなたたちは、私と慰めを共にしてくれている、と。あなたたちは私の隣りにいてくれた、あるいは、私にあなたたちの隣りにいさせてくれた、と。
必ずしも、物理的に一緒にいたというだけではないと思います。同じ信仰を抱き、同じキリストを愛し、同じ神をあがめるとき、私たちは隣りに生きるものとなる。パウロは主イエスさまにあってそのことを信じ、そういう信仰の奇跡がコリント教会との間にも起こっていることを喜んでいました。
「苦難のはざまから主を呼び求めると、主は私に耳を傾け、慰めてくださった。」私たちは、主なる神様の慰めを教会を通して知ります。教会という共同体の仲間を通して神様の慰めを経験します。私たちは共に神の御前にあり、神を仰ぎ、神に祈り、共に神の慰めを分かち合います。主イエス・キリストご自身が私たちの間にいてくださることを信じて。

2025年1月2日の聖句

人を恐れることは破綻を招くが、主に頼る者は守られる。(箴言29:25) 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたに御国をお与えになることを、あなたがたの父はお喜びになったのだから。(ルカ12:32) 新しい年が始まりましたが、だからといって社会が突然よくなったり、明るくなったりするわけ...