私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導きだした者である。(出エジプト記20:2)
愛するきょうだいたち、自由へとあなたがたは召されたのです。ただ、この自由を、身勝手であることの言い訳にはせず、愛をもって互いに仕えるようにしなさい。(ガラテヤ5:13)
我が家の子どもたちがもう少し小さかった頃、教育テレビを見ていたら「お天気自動販売機」という歌が流れていました。明日は晴れてほしい人がお天気自動販売機で晴れの天気を買う。別の人は雨になってほしい、他の人は雪、やっぱり晴れ・・・と、いろいろな人が自動販売機に注文するので、天使がめまぐるしく変わって混乱する、という愉快な歌です。コミカルで笑いを誘う歌ですが、恐ろしい歌です。お天気に限らず、神さまを自動販売機のように自分の注文を黙って聞いてくれる僕にしてはいないか、と考えさせられます。
神さまは自由なお方です。私たちの僕ではありません。しかししばしば私たちは神さまを自分の下僕のように扱います。自分の願いのとおりにしてくれて当然、そうではない神なんて信じるに値しない、と。そうやって神さまを自分に仕えさせるような礼拝や祈りを、聖書は「偶像崇拝」と呼びます。しかし神さまは偶像に貶められてはならないお方です。自由な方、聖なる方です。神さまは私たちが自分を正当化するための手段ではないし、私たちの便利に仕える奴隷ではないのです。
自由な神の僕であるから、私たちもまた自由な存在です。神の自由を映し出すところに人間の尊厳があるのだと思います。だから、私たちがもしも他人の自由を毀損するとしたら、それはあってはならないことなのではないでしょうか。私たちは自分に与えられた自由を身勝手の言い訳にしてはならない。自由な神の僕として、神が私にしてくださったように自由な愛に生きるために私たちは召されたのです。
愛するきょうだいたち、自由へとあなたがたは召されたのです。ただ、この自由を、身勝手であることの言い訳にはせず、愛をもって互いに仕えるようにしなさい。(ガラテヤ5:13)
我が家の子どもたちがもう少し小さかった頃、教育テレビを見ていたら「お天気自動販売機」という歌が流れていました。明日は晴れてほしい人がお天気自動販売機で晴れの天気を買う。別の人は雨になってほしい、他の人は雪、やっぱり晴れ・・・と、いろいろな人が自動販売機に注文するので、天使がめまぐるしく変わって混乱する、という愉快な歌です。コミカルで笑いを誘う歌ですが、恐ろしい歌です。お天気に限らず、神さまを自動販売機のように自分の注文を黙って聞いてくれる僕にしてはいないか、と考えさせられます。
神さまは自由なお方です。私たちの僕ではありません。しかししばしば私たちは神さまを自分の下僕のように扱います。自分の願いのとおりにしてくれて当然、そうではない神なんて信じるに値しない、と。そうやって神さまを自分に仕えさせるような礼拝や祈りを、聖書は「偶像崇拝」と呼びます。しかし神さまは偶像に貶められてはならないお方です。自由な方、聖なる方です。神さまは私たちが自分を正当化するための手段ではないし、私たちの便利に仕える奴隷ではないのです。
自由な神の僕であるから、私たちもまた自由な存在です。神の自由を映し出すところに人間の尊厳があるのだと思います。だから、私たちがもしも他人の自由を毀損するとしたら、それはあってはならないことなのではないでしょうか。私たちは自分に与えられた自由を身勝手の言い訳にしてはならない。自由な神の僕として、神が私にしてくださったように自由な愛に生きるために私たちは召されたのです。