今週の聖句:
平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
今日の聖句:
ヨセフは兄弟たちに言った。「途中で言い争ったりしないでください。」(創世記45:24)
互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(コロサイ3:13)
今週の聖句では「平和を造る人々は、幸いである」と言われています。そうするとすぐに、政治が悪いから平和にならないとか、自分の力なんて小さすぎて意味がないとか、そういうことを考えてしまいがちです。確かにそういう面もあるのかも知れません。しかし、主イエスは非力で芥子粒のような私たちに向かって「平和を造る人々は、幸いである」とおっしゃったのです。何も当時の王ヘロデやローマの総督ポンテオ・ピラトに向かって言ったのではなく、吹けば飛ぶような民衆にお命じになった。だから、私たちもこの言葉を聞く。
今日の旧約聖書はヨセフという人が兄たちにいった言葉です。「途中で言い争ったりしないでください。」責任のなすりつけ合いをしないでください、という意味です。自分たちが犯してしまった過ちについて、お互いに人のせいにして責め合わないでください、と弟ヨセフは兄たちに言う。平和を造る関係を築いてください、ということではないでしょうか。私たちもよく知っています。過ちや間違ったことを人のせいにし、自分の責任を回避しようとする心を。そういう小さな責任転嫁の心は既に平和を傷つける心です。
平和を造り出す秘訣について、今日の新約聖書の御言葉では忍耐と赦しと言います。他人への不満を抱いたとき、主があなたを赦してくださったことを思い出しなさい、と言うのです。
主が赦してくださった。これこそ、平和の礎です。この土台の上にしか平和は成り立たない。この平和にすべての人が生きられるように、というのは私たちの祈りの課題です。私たちは平和のために、何よりも祈る。神の赦しの恵みにすべての人が気づきますように。そして私がその先頭に立って、私を無限に赦してくださった神の憐れみを思い知ることができますように、と。
平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
今日の聖句:
ヨセフは兄弟たちに言った。「途中で言い争ったりしないでください。」(創世記45:24)
互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(コロサイ3:13)
今週の聖句では「平和を造る人々は、幸いである」と言われています。そうするとすぐに、政治が悪いから平和にならないとか、自分の力なんて小さすぎて意味がないとか、そういうことを考えてしまいがちです。確かにそういう面もあるのかも知れません。しかし、主イエスは非力で芥子粒のような私たちに向かって「平和を造る人々は、幸いである」とおっしゃったのです。何も当時の王ヘロデやローマの総督ポンテオ・ピラトに向かって言ったのではなく、吹けば飛ぶような民衆にお命じになった。だから、私たちもこの言葉を聞く。
今日の旧約聖書はヨセフという人が兄たちにいった言葉です。「途中で言い争ったりしないでください。」責任のなすりつけ合いをしないでください、という意味です。自分たちが犯してしまった過ちについて、お互いに人のせいにして責め合わないでください、と弟ヨセフは兄たちに言う。平和を造る関係を築いてください、ということではないでしょうか。私たちもよく知っています。過ちや間違ったことを人のせいにし、自分の責任を回避しようとする心を。そういう小さな責任転嫁の心は既に平和を傷つける心です。
平和を造り出す秘訣について、今日の新約聖書の御言葉では忍耐と赦しと言います。他人への不満を抱いたとき、主があなたを赦してくださったことを思い出しなさい、と言うのです。
主が赦してくださった。これこそ、平和の礎です。この土台の上にしか平和は成り立たない。この平和にすべての人が生きられるように、というのは私たちの祈りの課題です。私たちは平和のために、何よりも祈る。神の赦しの恵みにすべての人が気づきますように。そして私がその先頭に立って、私を無限に赦してくださった神の憐れみを思い知ることができますように、と。