主なる神は私の耳を開かれた。私は逆らわず、退かなかった。(イザヤ50:5)
(イエスの言葉)その羊も私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる。(ヨハネ10:16)
「主よ、私の耳を開いてください。」
私たちは、神さまの御言葉を聞くためにそう祈ります「主よ、私の耳を開いてください。」聖書を通して私たちに語りかける神さまの御言葉を聞くために、私たちは心を静め、耳を傾ける。しかしその耳を神が開いてくださるからこそ、私たちは聖書から「福音」を聞き取ることができるのです。
主イエスは羊飼いとして、羊の群れである私たちの世話をし、また導いてくださる。そのようにおっしゃいました。羊は羊飼いの声を聞き分けるのだそうです。私が学生の頃、私の教会に研修に来ていた神学生の通っていた神学校には実際に羊がいたそうで、本当に羊は羊飼いの声を聞き分けていたと証言していました。羊のように、私たちも私たちの羊飼いである主イエスさまの声を聞き分ける。即ち、福音の言葉を聞き分ける。そのための耳を、神様が開いてくださいますように。
羊の声に導かれる私たちは、一人の羊飼いによって「一つの群れ」になる。共に羊飼いの声に生かされる私たちは、一つの教会になる。羊飼いは、危ないときや困難なときに羊たちを守ります。羊がバラバラにならないように、羊飼いは懇ろに世話してくれます。お腹をすかせた羊のために、青草の原に導いてくれる。そんな羊飼いの声、愛する主イエスさまの福音の言葉によって、私たちは一つの群れにされています。
今日も尊い主イエスの福音によって一つに呼び集められているのですから、主の御声の中を共に歩んでいきましょう。
(イエスの言葉)その羊も私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる。(ヨハネ10:16)
「主よ、私の耳を開いてください。」
私たちは、神さまの御言葉を聞くためにそう祈ります「主よ、私の耳を開いてください。」聖書を通して私たちに語りかける神さまの御言葉を聞くために、私たちは心を静め、耳を傾ける。しかしその耳を神が開いてくださるからこそ、私たちは聖書から「福音」を聞き取ることができるのです。
主イエスは羊飼いとして、羊の群れである私たちの世話をし、また導いてくださる。そのようにおっしゃいました。羊は羊飼いの声を聞き分けるのだそうです。私が学生の頃、私の教会に研修に来ていた神学生の通っていた神学校には実際に羊がいたそうで、本当に羊は羊飼いの声を聞き分けていたと証言していました。羊のように、私たちも私たちの羊飼いである主イエスさまの声を聞き分ける。即ち、福音の言葉を聞き分ける。そのための耳を、神様が開いてくださいますように。
羊の声に導かれる私たちは、一人の羊飼いによって「一つの群れ」になる。共に羊飼いの声に生かされる私たちは、一つの教会になる。羊飼いは、危ないときや困難なときに羊たちを守ります。羊がバラバラにならないように、羊飼いは懇ろに世話してくれます。お腹をすかせた羊のために、青草の原に導いてくれる。そんな羊飼いの声、愛する主イエスさまの福音の言葉によって、私たちは一つの群れにされています。
今日も尊い主イエスの福音によって一つに呼び集められているのですから、主の御声の中を共に歩んでいきましょう。