2023年11月27日月曜日

2023年11月27日の聖句

寡婦、孤児、寄留者、貧しい者を虐げてはならない。(ゼカリヤ7:10)
あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。(エフェソ4:20)

主イエス・キリストは、息子を亡くしたナインのやもめと出会い、その葬送の列を留めてくださいました。彼女のために息子を死から取り戻し、返してくださいました。子どもたちの頭に手を置いて祝福し、外国人と友になり、人々には「貧しい人は、幸いである」と宣言なさいました。主イエス・キリストは社会の中の無に等しい人、顧みられない人、軽んじられ、蔑ろにされている人々を覚え、重んじ、慈しみをお向けになりました。キリストは私たちの先頭に立って、愛のわざを行っておられます。
「寡婦、孤児、寄留者、貧しい者を虐げてはならない。」それは神の正義に反することです。寡婦、孤児、寄留者、貧しい人。この人たちは、社会の中で一番弱い人たちです。そういう事情は恐らく人間の歴史の中では殆どの時間、殆どの場所で同様だったのではないでしょうか。今でも、政治が優遇するのは企業や金持ちであって、外国人や貧乏な人のために積極的に手を打ち、その人たちを一番重んじるような政策を立案する人など見たことがない。しかしそのようなことは政治家をあげつらう必要もないのであって、この私をよく見てみれば、明らかなことです。私こそ、弱い立場に立たされている人々への愛に欠いている愚か者だということを認めないわけにはいかない・・・。
キリストはそのような私たちの間に立って、今日も、神の愛の御業を進めておられます。キリストの歩まれるその道には、いつでも、寡婦が、孤児が、寄留者が、貧しい人がいます。社会の中で特に顧みられることもない寡婦や孤児を、主はご覧になっている。差別され、すぐに犯罪者のような扱いを受け、危ない人のように白い目を向けられる外国人を、キリストは愛しておられます。自業自得と周囲から裁かれ、汚いとか臭いと鼻つまみ者のような扱いを受ける貧しい人のところへ、キリストは今日も進んで行かれます。
キリストが先頭に立って進む道へ、私たちも招かれている。愛の道へ、キリストは私たちを連れ出しておられるのです。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...