2024年1月31日水曜日

2024年1月31日の聖句

確かに、我々の神、主にこそ、イスラエルの救いはあるのです。(エレミヤ書3:23)
(マリアの言葉)私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。(ルカ1:46~47)

主イエスさまをお腹に宿したマリアの言葉です。「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。」マリアが崇め、喜びたたえるお方は、救い主である神。神さまは私たちの救い主でいてくださいます。私たちを滅ぼしたり、罰したりすることを望んでおられるのではなく、私たちを救うことを望んでいてくださるお方。マリアがほめたたえた神、私たちの信じる神、主イエス・キリストが父とお呼びになった神。この方が私たちの救い主。
「確かに、我々の神、主にこそ、イスラエルの救いはあるのです。」ですから、私たちも私たちの救いであるお方をほめたたえます。私たちの主であり私たちの神である方、イエス・キリストの父であるこの神にこそ、私たちの救いがあるのですから。
ところで、この時マリアは一体いかなる状況だったのか。突然主の天使が彼女のもとにやって来て、胎に幼子が宿っていることを告げました。マリアは戸惑いましたが、主のなさることを信頼してわが身を明け渡しました。そこで、彼女は急いで親類のエリサベトのところへ行った。天使から、エリサベトも神の御業にあずかって妊娠しているということを聞いたからです。彼女たちは一緒に主の御業を喜びました。神さまの救いの御業を一緒に喜びました。外面的に考えると、マリアがこれから一体どうなっていくのか、不安になる材料の方が多かったはずです。状況は喜ばしいものではなかったに違いない。しかし、マリアは神さまを賛美しました。自分の身の回りの状況ゆえにではなく、それにもかかわらず。神の救いの御業が進んでいることを信じて神を賛美した。「確かに、我々の神、主にこそ、イスラエルの救いはあるのです。」
私たちもマリアと同じ賛美に招かれています。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...