2024年1月9日火曜日

2024年1月9日の聖句

主は地の果てまで裁き、王に力を与えられます。(サムエル上2:10)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。(ヨハネ1:29)

主なる神の裁き、ということが語られています。裁きが話題に上っている。ここのところしばらく、自民党のある派閥を巡って、政治資金パーティのパーティ券の売り上げを個人にキックバックしていたという話題で持ちきりになっていました。私たちの金銭感覚からはあまりにもかけ離れたところで裏金を造り、公僕たるべき者たちが私腹を肥やしていたのかということもあって、世間の怒りや顰蹙を買った事件であったかと思います。
もしも報道されているとおりならば確かにけしからんことではあると思いますが、他方では少し違う感想も抱きます。これまで偉そうにふんぞり返っていた国会議員たちがシュンとしている。その中のある者が逮捕され、裁判で有罪になっていくようなことがあるかも知れません。それでもって私たちが溜飲を下げてすっきりするとしたら、それはそれで私たちにとってあまり健全なことではないのではないかと思います。人が裁かれる姿を見て喜ぶというのは、あまり良いことではないように思います。
私たちには、それぞれ自分なりの正義があります。そこから外れる者を私たちは自分の心の中で、あるいはブツブツつぶやきながら繰り返し裁いている。私たちは誰もが自分の正義の物語の虜になっているのではないかと思います。
ところが、神さまの裁きは私たちの予想とは違っている。「主は地の果てまで裁き、王に力を与えられます。」「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」この二つの御言葉から知らされるのは、主なる神さまの裁きは私たちのための救いの裁きだ、ということです。神さまの目からご覧になって、私たちなど一体どのような存在なのでしょう。どんなに断罪してもしたりないような汚れた者です。ところが神さまはそのような私たちを罪に定めるのではなく、憐れみと恵みの内に救いに定めてくださいました。小羊イエスが世の罪を取り除いてくださったからです。だから、神の裁きによって私たちは力を与えられる。
私たちは自分の握っている小さな正義の物語に生きている。ところが、神さまはもっともっと大きな救いの物語の中に私たちを生かしてくださっています。この天と地が造られる前から私たちを救いに定め、時至って私たちのために小羊イエスをお送りくださり、私たちを罪ではなく救いに定めてくださった神の救いの物語。それが私たちの生きる本当の現実なのです。神は、私たちのためにこのような恵みの裁きを行ってくださったのです。

2025年1月15日の聖句

姦淫してはならない。(出エジプト記20:14) 夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。(1コリント7:3) 姦淫というと、浮気や不倫という言葉とすぐに結びついて考えられます。しかし単にそれだけではなく、聖書はもっと積極的にこのことを考えているように思います。...