2024年2月22日木曜日

2024年2月21日の聖句

だれが、「私は自分の心を清めた。私は罪から離れ、きよくなった」と言えるだろうか。(箴言20:9)
イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。」(ルカ5:22)

「何を心の中で考えているのか。」恐ろしい言葉です。主イエスさまにそう言われて、堂々と申し開きすることのできる人がいるのでしょうか?隠しておきたい心の仲間でもご存じのお方にそう問われて、一体何とお答えすれば良いのでしょうか。
「だれが、『私は自分の心を清めた。私は罪から離れ、きよくなった』と言えるだろうか。」
本当にその通りです。「私は清くなった、すでに罪から離れた。」どうしてそのようなことが言えるでしょう。全然罪から離れていないことは私自身が一番よく知っています。いや、私自身よりも深く私のことをご存じのお方の前で、どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。
今、私たちは受難節を迎えています。主イエス・キリストは十字架にかけられた。私たちがかけました。神の子でいらっしゃる方を、十字架に。私たちのすべてをご存じでいらっしゃる方を、私たちが十字架にかけた。まことの神でいらっしゃる方を、十字架にかけたのです。私たちの心の中にあるものは、このお方を十字架にかけるに至る罪の思いばかりで覆い尽くされています。
しかし、キリストはそのような私の全部をご存じの上で、そのような私を愛し抜いてくださいました。すべてをご存じのお方が私のために歩んでくださった。その事実だけが私たちの救いであり、望みです。キリストにこそ私たちのための神の愛が込められている。主イエス・キリストを仰ぎます。私たちのために十字架にかけられているキリストのお姿を、私たちは今日も仰ぎます。

2026年5月15日の聖句

(イスラエルの子らの言葉)さあ、行こう。主に連なろう。永遠の契約が忘れられることはない。(エレミヤ50:5) こういうわけで、あなたがたは力を尽くして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には節制を、節制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。...