しかし私は、群れの残りの者を、追いやったすべての地から集め、自分たちの牧場へ帰らせる。彼らは多くの子を産み、増える。(エレミヤ23:3)
(イエスの言葉)私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。(ヨハネ10:10)
預言者エレミヤは、ユダの国が滅んでいく時代の人物です。国が坂道を転がり落ちるようにして悪くなり、自滅していく時代に生き、神さまからのメッセージを語って警告し、信仰へと連れ戻そうとした。神の言葉を語り続けました。しかし、ユダの国も、そこに生きる人々も、加速度的に神さまから離れ、滅亡に突き進んでいきます。
この預言者のすごいところは、そういう時代を目の当たりにしながら、ただただ滅びや裁きだけを語ったのではない、というところだと思います。私たちは両極端のどちらかに触れてしまいがちだと思います。つまり、「あまり深刻にならなくていい、大丈夫だ」と事態を甘く見てしまう。あるいはその逆に、「もう終わりだ、何の希望もない」とひたすら悲観的になって諦めてしまう。エレミヤは、裁きの言葉を語りながらもそれだけに終始したわけではありません。「しかし私は、群れの残りの者を、追いやったすべての地から集め、自分たちの牧場へ帰らせる。彼らは多くの子を産み、増える。」主なる神さまによる回復の希望をも語ったのです。
これは私たちにも大きな示唆を与える言葉であると思います。心ある人が「今」を見れば、その悪さに耐えがたい時代ではないでしょうか。今この時代は、徹底的に神さまから果てしなく遠いところに迷い出てしまいました。この時代に生きる一人のキリスト者として本当に神さまに申し訳ないことです。しかし私たちにとって、周囲を裁いていたずらに悲観的になってみせるということもまたふさわしくないのだと思います。私たちはキリストを信じています。この時代にあって。今を生きる私たちの救い主であるお方として、キリストを信じている。だから、私たちにもなお希望がある。「私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。」キリストは今を生きる私たちの世界に命を与えるために来てくださいました。このお方が実現してくださった救いを、この世界の中で証しすることが私たちの務めです。今を生きる私たちの救いは、イエス・キリストにあるのです。
(イエスの言葉)私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。(ヨハネ10:10)
預言者エレミヤは、ユダの国が滅んでいく時代の人物です。国が坂道を転がり落ちるようにして悪くなり、自滅していく時代に生き、神さまからのメッセージを語って警告し、信仰へと連れ戻そうとした。神の言葉を語り続けました。しかし、ユダの国も、そこに生きる人々も、加速度的に神さまから離れ、滅亡に突き進んでいきます。
この預言者のすごいところは、そういう時代を目の当たりにしながら、ただただ滅びや裁きだけを語ったのではない、というところだと思います。私たちは両極端のどちらかに触れてしまいがちだと思います。つまり、「あまり深刻にならなくていい、大丈夫だ」と事態を甘く見てしまう。あるいはその逆に、「もう終わりだ、何の希望もない」とひたすら悲観的になって諦めてしまう。エレミヤは、裁きの言葉を語りながらもそれだけに終始したわけではありません。「しかし私は、群れの残りの者を、追いやったすべての地から集め、自分たちの牧場へ帰らせる。彼らは多くの子を産み、増える。」主なる神さまによる回復の希望をも語ったのです。
これは私たちにも大きな示唆を与える言葉であると思います。心ある人が「今」を見れば、その悪さに耐えがたい時代ではないでしょうか。今この時代は、徹底的に神さまから果てしなく遠いところに迷い出てしまいました。この時代に生きる一人のキリスト者として本当に神さまに申し訳ないことです。しかし私たちにとって、周囲を裁いていたずらに悲観的になってみせるということもまたふさわしくないのだと思います。私たちはキリストを信じています。この時代にあって。今を生きる私たちの救い主であるお方として、キリストを信じている。だから、私たちにもなお希望がある。「私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。」キリストは今を生きる私たちの世界に命を与えるために来てくださいました。このお方が実現してくださった救いを、この世界の中で証しすることが私たちの務めです。今を生きる私たちの救いは、イエス・キリストにあるのです。