2024年4月11日木曜日

2024年4月11日の聖句

私、この私が、あなたがたを慰める者。あなたは何者か。死ぬべき人を恐れるとは。(イザヤ51:12)
あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。(1ペトロ3:15)

「私、この私が」と主なる神さまはおっしゃいます。人間は死ぬべき者に過ぎない。すべての人間は、「私」とおっしゃる神さまがお造りになったもの。この私があなたがたを慰める者なのだ、と神さまは言ってくださいます。力強い言葉です。
福音は、それを語る人を必要としています。神さまが宣教という愚かな手段によって人々を救おうとなさるからです。私は言葉に乏しいし、勇気がないし、自分という人間を考えると恥ずかしくなってしまいます。しかし、誰のことをも恐れるな、と神さまはおっしゃいます。造り主、神が共にいてくださるから。
「あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」正直に言って、私はこの言葉を読むとちょっと怯んでしまいます。いつでも弁明できるどころかすぐにたじろいでしまうし、そういう準備をいつでもできているとは思えない。しかしここには「あなたがたの抱いている希望について」と書いてあります。希望です。私たちが信じている福音は、希望を与える知らせです。私たちはキリストにあって望みを抱いている。そのことを証言します。
私が自分のことを見ているとどこまでもウジウジとはまり込んでしまいます。しかし、御言葉は希望の御言葉で、キリストの福音は救いの知らせです。御言葉に心を向けるとき、自分の勇気や大胆さ以上の、御言葉のもつ力が私をも生かしてくださるという恵みの事実に気付かせて頂くのです。

2024年4月30日の聖句

主よ、思い起こしてください、あなたの憐れみと慈しみを。それはとこしえからあるもの。(詩編25:6) しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたとき、神は、私たちがなした義の行いによってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。この憐れ...