2024年5月31日金曜日

2024年5月31日の聖句

主に怒りを燃やす者は皆、そのもとに来て恥じ入る。(イザヤ45:24)
そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。イエスは言われた。「私がそれである。あなたがたは、人の子が力ある方の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」(マルコ14:61~62)

今は怒りの時代だと思います。社会のいろいろなところに怒りが溢れています。インターネットの登場で自分の怒りを表出する手段を得たとも言えます。いろいろな人が怒っています。怒っていれば当然ですが、誰もが自分は正しいと思い込んでいます。自分が不当な目に遭っているのは近くにいる誰かや社会制度が悪いからだといろいろなところで言われています。
しかし、人の怒りが神の義を実現することはありません。そのことは謙遜に受け止めたいと思います。怒っていると忘れてしまいますが、自分の怒りは所詮自分の怒りでしかないし、自分の正義感はどうしても自分中心でしかありません。怒りには際限がない。やがて私たちの怒りは神を呪うほどに大きく膨れ上がり、神を殺す怒りになっていく。
しかし、聖書は言います。「主に怒りを燃やす者は皆、そのもとに来て恥じ入る。」このことがもっとも鮮やかに暴露されたのが、キリストの十字架の出来事です。私たちの怒りは、神の子イエスを殺す怒りとして燃え上がりました。「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と問いながら、そのお方を殺しました。主イエスの罪状は、神の子であることです。神の子イエスを私たちは殺した。私たちの怒りが殺しました。自分は正しい、自分だけは正しいという私たちの自負がイエスを殺したのです。
しかし、私たち恥ずべきのりは思わぬ結末を迎えます。「私がそれである。あなたがたは、人の子が力ある方の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」主イエスはそうおっしゃいます。私こそ神の子メシア。その私が神のもとから再びくるのをあなたたちは見る。私たちを救うためにキリストが来てくださる。そのお姿を私たちは見る。神は私たちの燃え上がる怒りの中で、ご自分のなさる救いの御業を貫いてくださる。そう宣言なさいます。
このキリストを仰ぎつつ、私たちの今日一日を歩んでいきます。主イエスさまに私のこの怒りを告白し、お委ねし、私たちに一日を神に献げます。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...