(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4)
あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23)
主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった。主が授けてくださる新しい歌を私は歌う。
この歌の新しさは、単なる新曲ということではないでしょう。続けて「我らの神への賛美を授けてくださった」と言います。主が授けてくださる歌の新しさ、それは、神をほめたたえる賛美の歌という意味での新しさです。主なる神さまを心からほめたたえる歌は、私たちにとってはいつでも新しい歌です。私たちはそれを新しい心で、いつでも新鮮なものとして神に献げる。賛美というのは、そういうものだと思います。私たちの献げる賛美は、神ご自身が私の口に授けてくださる新しい歌に過ぎない。私の神を賛美したいという願いも、その情熱も、神が私たちに与えてくださった思い。賛美の喜びは、神が私たちに与えてくださった喜び。私たちが神に礼拝を献げ、賛美を献げるのは、神がそのように招き、そのような心を与えてくださっているからに他ならない。
「あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。」ここでもやはり「新たにされなさい」と言っています。新しくなりなさいとか、心を入れ替えなさいとは言っていません。神があなたを新しくしてくださる。それを心から喜んで受け入れなさい、ということではないでしょうか。神が新しくしてくださる。それこそ、聖霊のお働きです。あなたにも神が働いてくださっている。今朝、あなたがたった一言でも神に祈るなら、ほんの一言でも「神さま」と呼ぶなら、そこに既に神のお働きがある。神があなたの口に新しい歌を授けてくださっているのです。
あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23)
主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった。主が授けてくださる新しい歌を私は歌う。
この歌の新しさは、単なる新曲ということではないでしょう。続けて「我らの神への賛美を授けてくださった」と言います。主が授けてくださる歌の新しさ、それは、神をほめたたえる賛美の歌という意味での新しさです。主なる神さまを心からほめたたえる歌は、私たちにとってはいつでも新しい歌です。私たちはそれを新しい心で、いつでも新鮮なものとして神に献げる。賛美というのは、そういうものだと思います。私たちの献げる賛美は、神ご自身が私の口に授けてくださる新しい歌に過ぎない。私の神を賛美したいという願いも、その情熱も、神が私たちに与えてくださった思い。賛美の喜びは、神が私たちに与えてくださった喜び。私たちが神に礼拝を献げ、賛美を献げるのは、神がそのように招き、そのような心を与えてくださっているからに他ならない。
「あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。」ここでもやはり「新たにされなさい」と言っています。新しくなりなさいとか、心を入れ替えなさいとは言っていません。神があなたを新しくしてくださる。それを心から喜んで受け入れなさい、ということではないでしょうか。神が新しくしてくださる。それこそ、聖霊のお働きです。あなたにも神が働いてくださっている。今朝、あなたがたった一言でも神に祈るなら、ほんの一言でも「神さま」と呼ぶなら、そこに既に神のお働きがある。神があなたの口に新しい歌を授けてくださっているのです。