2024年6月5日水曜日

2024年6月4日の聖句

命が衰えようとするとき、私は主を思い起こした。
私の祈りはあなたに届いた。(ヨナ2:8)
何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。(フィリピ4:6)

神は憐れみ深いお方です。私たちの祈りを待っていてくださいます。私たちの願いに耳を傾けてくださいます。神さまは、優しい方です。
今日の旧約の御言葉で与えられているのはヨナ書です。預言者ヨナの記録。この人はニネベという都に行って、人々に悪からの悔い改めを語れと神に命じられました。ところがヨナはそれを拒んで正反対の方角へ逃げました。ニネベは、ヨナたちイスラエルにとっては宿敵であるアッシリアの首都です。敵国に行けと言われたのでヨナはそれを拒否した。
その後、ヨナにはいろいろなことがあって大きな魚に呑み込まれてしまった。その魚の腹の中で献げた祈りが、今日私たちに与えられている御言葉です。「命が衰えようとするとき」というのは、ヨナが神の命令に背いて、その結果魚に呑み込まれてしまったときのことです。しかしそんなときの祈りの言葉にさえも神は耳を傾けてくださった。主なる神さまはヨナを救ってくださいました。
「何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。」この「何事も」というのは、本当に「何事も」です。どんなことも思い煩わずに、神に打ち明け、祈っていい。むしろ神はどんな祈りでも待っていてくださいます。自業自得、神に背いたからこんなことになったと自分で自分を裁くしかないときにも、私たちは神に祈っていい。むしろ、神はそのようなときに祈ることを待っていてくださいます。最悪の罪は、祈らないことです。自分をキリストから切り離してしまうことです。最低最悪の罪人だと自分を責めるその時にこそ私に祈れ、と神は命じておられるのです。

2024年11月11日の聖句

イスラエルの子らは帰って来て、彼らの神である主と彼らの王ダビデを求め、終わりの日に、主とその恵みに畏れをもって近づく。(ホセア3:5) 誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。(マタイ7:8) 私たちは求めることが許されています。「誰でも、求める者は受け、探す...