2024年11月11日月曜日

2024年11月11日の聖句

イスラエルの子らは帰って来て、彼らの神である主と彼らの王ダビデを求め、終わりの日に、主とその恵みに畏れをもって近づく。(ホセア3:5)
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。(マタイ7:8)

私たちは求めることが許されています。「誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。」神は求める者に与えてくださるでしょう。しかし、私たちは何を求めるのでしょうか?自分のため、自分の満足のため、自分の欲の充足のために求めるのでしょうか。それがいけないなら、自分の周りにいる人や世の中のために何かを求めれば良い、ということなのでしょうか。
そのようなことを考え始めたときにとても示唆に富んでいるのが、今日の旧約聖書の御言葉です。「イスラエルの子らは帰って来て、彼らの神である主と彼らの王ダビデを求め、終わりの日に、主とその恵みに畏れをもって近づく」。主なる神を求める。主とその恵みを求める。私たちの一番根本的な求めを満たすのは、神ご自身以外にはいない。そのことを私たちはどれだけ知っているのでしょうか。
神ご自身を求める。神さまこそが私の慰め、私の救い。私たちも、本気でそのことを信じたい、と願います。預言者ホセアは何度も神を裏切り、神に対して不誠実な人々を前にして預言者として活動しました。主とその恵みに近づき、主の御もとに帰ることこそ私たちの救い。求める者は必ず受ける。主ご自身が罪深い私たちに臨んでくださる。ここに私たちの道がある。

2024年12月13日の聖句

モーセは顔を隠した。神を見るのを恐れたからである。(出エジプト記3:6) イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。「立ち上がりなさい。恐れることはない。」彼らが目を上げてみると、イエスの他には誰もいなかった。(マタイ17:7~8) 今日の新約聖書の御言葉は、ある高い山での出来事...