今週の聖句:
主の道を備えよ。
身よ、主は力を帯びて来られる。(イザヤ40:3,10)
今日の聖句:
「これは主の神殿、主の神殿、主の神殿だ」という偽りの言葉を信頼してはならない。あなたがたは本当にあなたがたの道と行いを改めなさい。(エレミヤ7:4~5)
イスラエルの神である主はほめたたえられますように。主はその民を訪れて、これを贖う。我らは恐れなく主に仕える。生涯、主の御前に清く正しく。(ルカ1:68,74,75)
「主の神殿」は、イスラエルの民にとっては信仰の要でした。ここで神を礼拝しました。ここで祈りました。神がご自分の御名をこの場所に置き、この所で献げる礼拝を御心に留めてくださると信じて、心を込めて礼拝していました。
ところが、時にその礼拝は形骸化し、心のこもったものではなくなってしまった。時に、その礼拝は形だけのものとなり、人々が本当に崇めているのは別の価値になってしまった。それでもなお神殿は残り、これさえあれば自分たちは大丈夫と思い込んでいた。そういう民の堕落を神は厳しく指摘しておられます。「『これは主の神殿、主の神殿、主の神殿だ』という偽りの言葉を信頼してはならない。あなたがたは本当にあなたがたの道と行いを改めなさい。」私たちが本当に自分の生き方を改め、神に従うことを神は求めておられます。神は立派な神殿や、人が評価してくれるような見栄えのするものを求めておられるのではなく、私たちが心から神を愛し、主を信じて従うことを求めておられるのです。
主の道を備えよ。
身よ、主は力を帯びて来られる。(イザヤ40:3,10)
今日の聖句:
「これは主の神殿、主の神殿、主の神殿だ」という偽りの言葉を信頼してはならない。あなたがたは本当にあなたがたの道と行いを改めなさい。(エレミヤ7:4~5)
イスラエルの神である主はほめたたえられますように。主はその民を訪れて、これを贖う。我らは恐れなく主に仕える。生涯、主の御前に清く正しく。(ルカ1:68,74,75)
「主の神殿」は、イスラエルの民にとっては信仰の要でした。ここで神を礼拝しました。ここで祈りました。神がご自分の御名をこの場所に置き、この所で献げる礼拝を御心に留めてくださると信じて、心を込めて礼拝していました。
ところが、時にその礼拝は形骸化し、心のこもったものではなくなってしまった。時に、その礼拝は形だけのものとなり、人々が本当に崇めているのは別の価値になってしまった。それでもなお神殿は残り、これさえあれば自分たちは大丈夫と思い込んでいた。そういう民の堕落を神は厳しく指摘しておられます。「『これは主の神殿、主の神殿、主の神殿だ』という偽りの言葉を信頼してはならない。あなたがたは本当にあなたがたの道と行いを改めなさい。」私たちが本当に自分の生き方を改め、神に従うことを神は求めておられます。神は立派な神殿や、人が評価してくれるような見栄えのするものを求めておられるのではなく、私たちが心から神を愛し、主を信じて従うことを求めておられるのです。
神さまは私たちをご自分のものとしてくださいました。「主はその民を訪れて、これを贖う。」この「贖う」というのは、買い取るということです。奴隷であった私たちを買い戻すようにして、神が私をご自身のものとしてくださる。だから、私たちは神のものらしく生きます。そこに私らしく生きる道がある、と信じています。