2024年12月9日月曜日

2024年12月9日の聖句

あなたのもとに逃れるすべての者が喜びますように。(詩編5:12)
(パウロの手紙)あらゆる場合に自分を神に仕える者として推薦しているのです。貧しいようでいて、多くの人を富ませ、何も持たないようでいて、すべてのものを所有しています。(2コリント6:4,10)

パウロは主イエス・キリストの使徒として生き、人間的にはいろいろなものを失いました。ユダヤ人社会での立場や名誉もそうです。キリストに従うことがなければ牢獄に捕らわれることもなかったでしょうし、鞭で打たれることも、難船することもなかったでしょう。パウロはキリストのためにあらゆるものを失いました。そのパウロが言うのです。「(私は)貧しいようでいて、多くの人を富ませ、何も持たないようでいて、すべてのものを所有しています」と。
私たち人間の基準で言えば、パウロは間違いなく貧しいです。しかしそのパウロが実は多くの人を富ませている。もちろん、金持ちになる御利益を得させているという意味ではありません。多くの人がパウロの証言するキリストの福音を信じ、神の前に富む者になっている。
あるいは、パウロは何も持っていない。ところがそのパウロの語る言葉を聞いてキリストと出会った人々はすべてものを所有するようになっている。主イエス・キリストを信じ、神が必要な物をすべて与えてくださっていることを知り、すべてを与えられた王のように自由にふるまうことができる。キリスト者として自由にされた。パウロの語る福音の言葉が自由にしたのです。
「あなたのもとに逃れるすべての者が喜びますように。」ある信仰者がそのように言います。神の御許に逃れる。それは、パウロのように生きるということです。パウロの証言する福音を信じるということです。貧しくても、何も持たなくても、神が私を生かしてくださっていることを知り、それを信じる。そこに私たちの豊かに生きうる道があるのです。

2025年10月23日の聖句

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。 自分の胎内の子を憐れまずにいられようか。 たとえ、女たちが忘れても 私はあなたを忘れない。(イザヤ49:15) 神は愛です。(1ヨハネ4:8) 神の愛ということを考えるときに、「親が子を思うような愛」というような言い方を耳にすることがあります...