彼は人々から顔を背けられるほどに軽蔑された。そしてそれゆえ、私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ書53:3)
よく見よ、この人は人間そのものだ。(ヨハネ19:5)
今日の聖書は、どちらも、ドイツ語の聖書を日本語に翻訳したものだそうです。私たちになじみのある翻訳とは少し味わいが違いますが、とても興味深い翻訳であると思います。特に新約の御言葉ですが、これはポンテオ・ピラトが主イエスを指して言った言葉です。このとき、主イエスは裁判にかけられていました。ユダヤの指導者たちがイエスを十字架にかけるために訴えた。ところがピラトは、イエスを十字架にかけるような罪を見いだすことができなかった。それで、イエスを鞭で打って釈放しようとしました。イエスを鞭で打たせ、王の衣を着せて侮辱し、民衆の前に引き出して言った。「よく見よ、この人は人間そのものだ。」
そうです。このお方こそ、まことの人間そのものです。人々から裁かれ、何の罪もないのに責められた。しかも、何の罪も見いだせなかったという理由で鞭で打たれた。侮辱され、人々から責められ、屈辱をなめさせられた。そういう神でいらっしゃるこのお方こそ、人間そのものです。ピラトは、自分ではそうとは知らずにイエスを証しする証人になりました。
「彼は人々から顔を背けられるほどに軽蔑された。そしてそれゆえ、私たちも彼を尊ばなかった。」私たちは人間イエスを軽蔑しました。尊ぶことなく、このお方を捨てました。私たちが十字架にかけた人間イエスこそ、まことの神でいらっしゃるお方です。
キリストの御前に膝をかがめ、この方を礼拝しましょう。このお方をほめたたえましょう。私たちが十字架にかけた人間を、今こそ仰ぎましょう。
よく見よ、この人は人間そのものだ。(ヨハネ19:5)
今日の聖書は、どちらも、ドイツ語の聖書を日本語に翻訳したものだそうです。私たちになじみのある翻訳とは少し味わいが違いますが、とても興味深い翻訳であると思います。特に新約の御言葉ですが、これはポンテオ・ピラトが主イエスを指して言った言葉です。このとき、主イエスは裁判にかけられていました。ユダヤの指導者たちがイエスを十字架にかけるために訴えた。ところがピラトは、イエスを十字架にかけるような罪を見いだすことができなかった。それで、イエスを鞭で打って釈放しようとしました。イエスを鞭で打たせ、王の衣を着せて侮辱し、民衆の前に引き出して言った。「よく見よ、この人は人間そのものだ。」
そうです。このお方こそ、まことの人間そのものです。人々から裁かれ、何の罪もないのに責められた。しかも、何の罪も見いだせなかったという理由で鞭で打たれた。侮辱され、人々から責められ、屈辱をなめさせられた。そういう神でいらっしゃるこのお方こそ、人間そのものです。ピラトは、自分ではそうとは知らずにイエスを証しする証人になりました。
「彼は人々から顔を背けられるほどに軽蔑された。そしてそれゆえ、私たちも彼を尊ばなかった。」私たちは人間イエスを軽蔑しました。尊ぶことなく、このお方を捨てました。私たちが十字架にかけた人間イエスこそ、まことの神でいらっしゃるお方です。
キリストの御前に膝をかがめ、この方を礼拝しましょう。このお方をほめたたえましょう。私たちが十字架にかけた人間を、今こそ仰ぎましょう。