2025年2月15日土曜日

2025年2月15日の聖句

わが神よ、昼呼びかけても、あなたは答えてくださらず、夜も私は安らぎを見いだせないまま。(詩編22:3)
キリストは、人として生きておられたとき、深く嘆き、涙を流しながら、自分を死から救うことができる方に、祈りと願いとを献げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。(ヘブライ5:7)

主イエスさまは私たちと同じ人間になってくださいました。「私たちと同じ人間」ということの具体的な意味は、私たちと同じ弱い者になってくださった、ということです。私たちは試練に遭い、弱さを痛感し、助けを必要とします。肉体も心も、私たちは脆くて崩れやすい存在です。体は病気にもなるし、暑さ寒さに耐えることも辛く、少しずつ老いていくものです。心も同じで、ストレスは知らぬ間に積み重なるし、無理をすれば耐えられなくなってしまう。主イエスはそんな私たちの弱さをご自分に引き受けてくださいました。そのイエスを神は私たちのための救いと定めてくださったのです。
神の子キリストは、人として深く嘆かれました。涙を流されました。死を恐れました。この方ほど深く死を恐れた人は他にいません。死の意味を誰よりもご存じだったのは、人としてのキリストです。死は、単なる生命活動の終了ではない。滅びであり、神に棄てられることです。そういう絶望の中から、この方が祈りを捧げ、願いを献げ、神の御前に生きぬかれた。このお方の祈りを神は聞き入れてくださいました。
主イエス・キリストは私たちの弱さに同情することがおできになる方です。私たちの祈りに耳を傾けてくださるお方です。私たちの叫びも呻きも、キリストが知り、耳を傾け、憶えていてくださいます。キリストが私たちの祈りを神に執り成してくださいます。キリストに私たちの望みがかかっているのです。

2025年3月12日の聖句

ノアは主の好意を得た。(創世記6:8) あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。(1ペトロ2:9) 神があなたを選び、ご自分の民、...