古くからの通り道に尋ねてみよ。「幸いの道はどこにあるのか」と。その道を歩み、あなたがたの魂に安らぎを見いだせ。(エレミヤ6:16)
私たちは、あなたがた一人一人が、同じ熱心さを示して、最後まで希望を持ち続けてくれるよう願っています。あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束を受け継ぐ人たちに倣う者となるためです。(ヘブライ6:11~12)
「最後まで希望を持ち続けてくれるように願っています」と書かれています。ほんのひととき希望をもつということであれば、あまり難しくないかもしれません。ほんの一瞬、何らかの望みを抱くことならできるかもしれません。しかし、最後まで希望を持ち続けるというと、簡単なことではないと思います。私たちには途中で疲れてしまうことも、諦めてしまうことも、妥協してしまうことも、厭になってしまうことも、いくらでもあります。最後まで希望を持ち続ける・・・。途方もないような気持ちになります。
今日の旧約の御言葉は私たちに語りかけます。「古くからの通り道に尋ねてみよ。『幸いの道はどこにあるのか』と。その道を歩み、あなたがたの魂に安らぎを見いだせ。」幸いの道を探すなら、「古くからの通り道に尋ねてみよ」と言っています。面白い言葉だと思います。自分でどこに幸いの道があるかを探し出せとか、はやりの道や皆が通っている大通りというのではありません。「古くからの通り道」に尋ねるのです。
その古さは、代々の神の民が通ってきた信仰の道、という古さではないでしょうか。アブラハムが通った道であり、モーセとその民が通った道であり、ペトロやパウロが通った道です。主イエス・キリストという道と言っても良いと思います。そこに幸いの道がある、と聖書は訴えかけています。
そして、この幸いの道こそ、私たちの希望の道です。私たちが自分の中をいくら探し回っても、最後まで続く希望なんてありません。あるいは自分にとって何が得かとか、皆がどう振る舞っているかとか、そのようなところには最後まで続く希望はない。キリストという古くからの道、永遠の昔から神がお定めになった道にこそ私たちの幸いがある。まことの望みがある。これこそ、今日私たちが頂いている福音です。
私たちは、あなたがた一人一人が、同じ熱心さを示して、最後まで希望を持ち続けてくれるよう願っています。あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束を受け継ぐ人たちに倣う者となるためです。(ヘブライ6:11~12)
「最後まで希望を持ち続けてくれるように願っています」と書かれています。ほんのひととき希望をもつということであれば、あまり難しくないかもしれません。ほんの一瞬、何らかの望みを抱くことならできるかもしれません。しかし、最後まで希望を持ち続けるというと、簡単なことではないと思います。私たちには途中で疲れてしまうことも、諦めてしまうことも、妥協してしまうことも、厭になってしまうことも、いくらでもあります。最後まで希望を持ち続ける・・・。途方もないような気持ちになります。
今日の旧約の御言葉は私たちに語りかけます。「古くからの通り道に尋ねてみよ。『幸いの道はどこにあるのか』と。その道を歩み、あなたがたの魂に安らぎを見いだせ。」幸いの道を探すなら、「古くからの通り道に尋ねてみよ」と言っています。面白い言葉だと思います。自分でどこに幸いの道があるかを探し出せとか、はやりの道や皆が通っている大通りというのではありません。「古くからの通り道」に尋ねるのです。
その古さは、代々の神の民が通ってきた信仰の道、という古さではないでしょうか。アブラハムが通った道であり、モーセとその民が通った道であり、ペトロやパウロが通った道です。主イエス・キリストという道と言っても良いと思います。そこに幸いの道がある、と聖書は訴えかけています。
そして、この幸いの道こそ、私たちの希望の道です。私たちが自分の中をいくら探し回っても、最後まで続く希望なんてありません。あるいは自分にとって何が得かとか、皆がどう振る舞っているかとか、そのようなところには最後まで続く希望はない。キリストという古くからの道、永遠の昔から神がお定めになった道にこそ私たちの幸いがある。まことの望みがある。これこそ、今日私たちが頂いている福音です。