2025年4月23日水曜日

2025年4月23日の聖句

私は全能の神である。私の前に歩み、全き者でありなさい。(創世記17:1)
(イエスは)トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

「私の前に歩み、全き者でありなさい!」全能の神であるお方がそのようにおっしゃいます。全能の神の御前に「全き者」でいられるなんて、一体誰に可能なのでしょうか?思わずそう問わずにいられないような言葉です。神様は無理難題をふっかけておられるのでしょうか?
そのことを考えるときに、今日の新約聖書の御言葉は大きなヒントになると思います。トマスは他の弟子たちのところへ復活の主イエスが来られたときにはおらず、「主が来てくださった」という知らせを聞いても信じることができませんでした。主イエスの釘指された手にこの指を触れ、槍で刺された脇腹にこの手を差し入れなければ信じない、と言いました。そんなトマスのところへ主イエスが来てくださり、おっしゃったのです。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」この言葉を聞いて、トマスは主に言ったのです。「私の主、私の神よ」と。不信仰な者から生まれた信仰の告白を、主イエスは受け入れてくださいました。
神の御前に全き者。それは、神を信じる者です。自分の目や手よりもキリストを信じる者です。単純にキリストを信じ、信頼する者。その人を神は「全き者」と言ってくださるのです。トマスのこの信仰は、彼の心の強さが生み出したものではありません。彼の前に来てくださったキリストが与えてくださったものです。キリストは私たちのところにも来てくださっています。礼拝において、キリストは私たちと出会ってくださる。私たちはその恵みにあずかっています。

2025年7月14日の聖句

あなたが造った神々はどこにいるのか。災難に遭ったとき、あなたを救えるのなら。(エレミヤ2:28) 私の愛する人たち、偶像礼拝を避けなさい。(1コリント10:14) 偶像礼拝。それは、私たちの願望が造り出す神への礼拝です。偶像の神は私たちの願いの奴隷です。ですから何らかの目に見える...